『鳥川魚美は小説家になれるのか?』第六話「青い季節」

第六話 青い季節
 アレは忘れもしない四年前、小六最後の被軟禁下。残暑の厳しい昼過ぎだった。
 もう少しだ。もう少しだ。もう少しだ。
 そう自分に言い聞かせ、僕は師匠のマンションで、書きに書きに書いていた。
 春休みに仕上げた作品が、初めて二次選考を突破したのだ。もし三次選考を抜ければ、次は最終。そうしたら受賞と文壇デビューが見えてくる。
 でも師匠からは、あの応募作は三次で終わりだよと断言された。
 それはそう。
 齢十二にして、長編短編併せて二十回以上は公募に挑戦してきた僕である。とうにビギナーズラックの余地はない。そのくせ二次通過なんかで浮かれるやつの原稿が、高みに届くはずもなく。
 師匠はわがままで傍若無人で自分勝手な社会不適合者だが、小説に関してのみ、いつも正しい。間違えない。
 それでも僕は、わずかばかりの前進に己の成長を実感した。もう少しだ、もう少しだ。今度こそ、今度こそ。
 カタッ、タタッ、タタタッ。
 軽快なタイプ音が背中越しに響く。うしろのデスクで、僕のものとは比較にならない高次元の小説を手がけているのは、万田凛。彼女の存在に、僕は改めて誇りと畏れと憧憬を抱いた。
 僕がこの人と初めて出会ったのは、小学校に上がる前。次は、その三年後。その際、処女作を突き出し懇願したら、なにが琴線に触れたのか、あっさり弟子にしてくれた。
 以来、僕は師匠のお世話になりっぱなし。特に僕が長期休みに入ると、彼女は必ず地元に帰ってきた。そうして同じ部屋で寝泊まりだ。
「ストーリーがテーマに沿ってない。やり直し」
「主人公の行動に一貫性がない。やり直し」
「コレじゃダメ。やり直し」
「もうちょっと頭使って」
「バカはバカなりにバカなことを考えてるんだろうけど、バカなだけじゃバカで終わるよ」
「たまには食事くらい作ってもらおうかね」
「……キミは二度とウチの台所に立つな」
「かかか、官能描写の書き方? じゅ、十年早い。十年早いっ」
 すでに一流と言っていいプロ作家に、僕は付きっきりで小説のイロハを教わった。そして書き、叩かれ、書き、読み、書いて、書いて、叱られ、書くなどしてきた。
 毎日、毎日、毎日だ。
 執念を燃やす。結果を出す。
 今度こそ、今度こそ、今度こそ。
 脳が軋む。視界が歪む。頭の裏側に紙やすりをかけられている感覚。目の奥の刺すような痛みは、一生取れる気がしない。徹夜は一度もしていないのに、この体たらく。情けない。師匠から借りたシャツを、もう鼻血で何枚ダメにしてきたことだろう。
 だが、それでいい。そのくらいでなきゃ、あの言葉を覆せない。

 ——キミなんかが、なれるわけないじゃん

 いつも正しい師匠の言葉を嘘にする。そして鼻を明かしてやる。この頃の僕は、そんな想いを心の支えに邁進していた。

 というより、その程度の支えで苦痛に耐えられるほど、小説の執筆にハマっていたのだろう。
 僕に才能はない。それはわかる。
 だけど優れた作家に弟子として認められ、鍛えてもらっている僕にだって、それなりに特別なものがあるはずだ。何者かにはなれるはずだ。
 そんな風に僕は、身の程知らずの夢を見ていた。書くことに没頭し、その快楽に酔っていた。ほかはなにも要らなかった。
 しかし。
「シオちゃんを返せええええ」
 甲高い声とともにマンションへ押し入ってきたのは、セーラー服に身を包んだ褐色の健康優良美少女。来海緋衣子ことヒー姉だ。このときは髪を染めていなかったし、まだ胸も平べったかった。
 そのうしろに控えていた我が妹、佐藤楓は、やれやれと嘆息顔。
 師匠は突然の来訪者に、なんだなんだと困惑していた。
「はあ? 夏休みの間はウシオくんを借り受けますって、ちゃんと親御さんに許可を取ってあるんだが?」
「今日から九月ですよっ。始業式終わってます」
「……そうだっけか。まあ、あの子のいま書いてる原稿が終われば、解放するから。それまで待ちなさい」
 師匠はそう告げると、デスクの前で成り行きを見守っていた僕に振り向き、
「オイ、なにしてる。手が止まってるよ」
「は、はい先生」
 些事、、で休むことを許さなかった。
「アタシのシオちゃんに命令するな!」
「アタシのぉ?」
「ちょっと、ヒー姉」
 一触即発の空気の中、楓が口を挟む。
「もう放っときなよ。潮が自分から、万田先生にお願いしてるんだから」
「おお、メイプルちゃん久しぶり。いいこと言うね」
「……カエデです」
 コイツ親戚にも偽名で通すのかと、僕は内心で呆れた。
「あれっ、間違えた? ごめんよ。……こっちのガングロお嬢ちゃんは、ふたりの友達かな? 部外者の子どもには、わからない話だろうけどさ。師匠は弟子になにを言ってもいいし、なにをしてもいいんだ。ゆくゆくは、それが弟子のためにもなる」
「なにが師匠だ、偉そうに。アンタただの、わがまま女だろ!」
 万田凛の信じる万田凛のやり方に、生来のわがまま娘が噛みついた。
「知ってるぞ。アンタそんなんだから、作家仲間に嫌われてるって。ネットで見た!」
「ぐぬ。……お嬢ちゃん、ネットの海には嘘みたいな大嘘が、山ほど漂っているんだよ。もし事実だったとしても、言いたいやつには言わせておけばいいさ。……私を嫌いな人のことなんて、私の方が嫌いだし」
「大人のくせに、そのくらいで涙ぐんでんじゃねえよ! 強く生きてみろよ! ……つーか、そっちの事情なんて、どうだっていいし。シオちゃん返せっつってんだ!」
「さっきから、うるせえ! ウシオくんは私の弟子モンなんだよ! ニセモノだらけの業界に、本物を作るんだよ! この子が大成したとき、『私が育てた』って自慢すんの! ……そんで、もし本人が望むなら、のちのち結婚してやらんこともないっ」
 後半の作り話にドキッとして、僕の手が再び止まる。もちろん真に受けちゃダメだ。この人は、たまにその手のことを口にするが、冗談に決まってる。ウチの師匠はそんな俗物じゃない。師匠は凄い人なんだ。
 しかし言葉そのままに受け取ったヒー姉は、身を震わせる。
「きぃっも! 気持ち悪っ。光源氏気取りか、この異常者! いまのも含めてアンタの所業、そこかしこで言いふらしてやるからな。ニュースになるぞ! 週刊誌に載るぞ!」
「……ニュースゥ?」
「見出しは『ショタコン作家、親類の男児を監禁』なんてどう!? アンタの人生、いろんな意味で終わらせてやっから!」
 かなり無理のある、所詮は子どもが思いつきで放った恫喝。しかし、師匠は見るからに動揺した。
「しょしょしょ、ショタコンじゃねえし。自分好みの男を育てたいだけだし」
「語るに落ちてんだよクソババア!」
「……やさしく諭してやってりゃあ、なんだこのクソガキ。チョーシ乗りやがって」
 壮絶かつ低レベルなレスバトルの末、双方キレる寸前だ。
 どちらも強情な上に、とびきり血の気が多い。本質的には似ている分、ぶつかったら止まらない。特に師匠がヤバい。
 一回りも歳の離れた子ども相手とはいえ、気の短い彼女にしては、ここまで堪えた方だろう。
 言われた通りに執筆作業をつづけるか、それとも止めに入るかで、僕が迷っていたとき。ヒー姉と目が合った。
「シオちゃんは!? どっち選ぶ? このクソババアとアタシ、どっち選ぶ?」
 制服姿の幼馴染みは、小学生の僕の目に、ひどく大人びて見えた。でも、小さな頃から変わらない。気は強いけど、やさしくて、正義感があって、カッコいい。いつも弱いもののために戦う、僕のヒーロー。
 だけど。
「ヒー姉、あのさ」
 僕は顔を背け、パソコンの画面を見ながら言った。
 ヒー姉は僕を応援してくれる。小説を書くことにも好意的で、これまで何度も檄を飛ばし、背中を押してくれていた。
 ヒー姉は僕の味方。
 今日だって乗り込んできたのは、きっと僕を想ってのことだ。
 でも、だけど。
「邪魔しないでよ」
 と、そう言いたかった。でも言えなかった。
「シオちゃんっ」
 呼びかけられ、思わず振り向く。
「一緒に帰ろ?」
 差し伸ばされた手を、僕は拒めない。
「うん」
 視界の端に、師匠の落胆している姿が映った。僕も、自分自身に失望した。小説を手放した自分に、絶望した。
 ヒー姉は、僕の理解者ではなかった。

 さて、ある決意を胸に訪れた鳥川家。鳥川魚美の自室にて。
 僕は隣に座っていた幼馴染みから、ふいに強烈なチョップを叩き込まれ、しばらく悶絶。その後、座布団没収の上で正座させられ、釈明に奮闘していた。
「つまり? 自分はあの女に、いつも同じような批評を食らってたから? 自分もセクハラやパワハラ満載の構文を送りつけるべきと? そう思ったってこと?」
「う、うん」
 来海緋衣子——部長は仁王立ちの状態で、深く溜息を吐いた。そして毛虫を見るような目でこちらを見下ろす。その眼差しがあんまり痛くて、すぐさま視線を落とす僕。自然、真ん前にある彼女のスカートや、瑞々しいふとももへ目が行くことになるのだけれど。いま、これらを注視していたら、膝が飛んでくるのは間違いない。下手したら殺される。泣く泣くフローリングの床や、辺りに散らばった本を眺めた。
「クソかよ。アンタみたいのが、将来この国を腐らすんだよ」
「いやっ。ヒーね……部長は知らないだろうけど。弟子と師匠って、そういうもんだよ。相手を思えばこその行動なんだ」
「それが弟子のためになるって? 言ってたねえ、あのセンセーも」
 部長の声が、より尖る。
「じゃあシオちゃんさー。アイツに暴言吐かれまくって、当時はどう思ってた?」
「……どうって」
 僕は懐かしい記憶を辿った。恩師に自作を叩かれ貶され、ついでに人格否定までされつづけた日々。
「そりゃあ、このクソババアぶち殺してやろうかって、毎回思ってたけど」
「おいっ」
「いや、ちがうちがう。その怒りのボルテージが、執筆の燃料になるんだよ。だから僕は、鳥川さんのことを想って」
 部長はまた溜息を吐く。
「まー、アタシには及びもつかない世界なんだろうけどさ。でもアンタとミーちゃん、別にちゃんとした師弟ってわけでもないっしょ? それなのに、こんなん送りつけられたらフツーはキレっからね? いまアタシだって、シオちゃん連れてお見舞いにきちゃった、自分が恥ずかしいよ」
「ぐう」
 そうか、そう。そうだろうな。普通はそう。わかる。わかっていた。でも僕は、小説に関することで手が抜けない。
「あ、あの」
 さっきまで僕を介抱してくれていた鳥川さんが、おっかなびっくり口を開いた。
 彼女は、いまだ下着の上にパーカーだけという危なっかしい恰好で、ベッドのヘリへ腰かけている。手には僕が昨日渡した、『オーバーナイト・ハイキング』の批評文。
「た、たしかに、このコメント。来海先輩の仰る通り、気色の悪いセクハラが随所に見られて。やたら高圧的だし、不愉快極まりない文章だし。これをネットに流せば、佐藤椰子先生は終わりだなって。いっそ、そうしてやろうかって。そう思うくらい、酷い内容でしたけど」
 どこかで聞いたような脅し文句。むかし師匠が部長相手に動揺していた気持ち、いまなら非常によくわかる。元関取がなぜかリングの上では勝てないように、作家も晒し行為には弱い。
「ねー、ひどいよねー。ミーちゃん大丈夫? おっぱい揉む?」
「いえ、結構です。いま下に親いるんで……って、そうじゃなくて」
 鳥川さんは部長からの夢みたいな申し出を、ボケなのか本気なのかわからないリアクションで流した。
「肝心の、私の小説については。的確な指摘ばっかりでした」
「……ホントにぃ?」
「は、はい。編集さんの意見より、書き手寄りっていうか。あ、ダブってる意見も多かったです。だからこそ、そこは直さなくちゃいけないんだなって。おかげで改稿の着地点が見えた気がします。あの前置きも、そこを踏まえて読み返すと。作品への取り組み方から考えてくれてるって思えて。その……よかった、です」
 彼女はチラッとこちらを見て、すぐ目を逸らした。
 自分の書いたものの意図が、正確に相手へ届いた喜び。そして、首の皮一枚が繋がった安堵感。僕は胸を震わせた。
「ふむ」
 部長は僕らを見比べ、よかろう、と言うように頷き、自分の座布団へ腰を下ろした。僕がソローッと足を崩しても、お咎めなし。一応、執行猶予がついたらしい。僕の座布団は返ってこなかったけど。
「ただミーちゃんにセクハラしたかったわけじゃないってことね?」
「当たり前だろっ。……さっきも言ったでしょ。鳥川さんは、むかしの僕の上位互換。だからこそ僕も、本気で当たったんだ」
「……わ、私が。佐藤くんの、上?」
 戸惑いながらも、ニマッと口角を上げる鳥川さん。その様子に僕はプライドを刺激され、注釈を添える。
「あくまで、小学生のときのね」
「なっ。……しょ、小学生?」
 バカにされたと思ったのか、鳥川さんは眉を寄せた。長い前髪は健在ながら、眼鏡なしの、うっすら疲れ気味なまなこ。そのせいで、いつもより迫力がある。
「あー、スーパー小学生ね」
「す、すうぱあ?」
 部長の誇張的フォローに、鳥川さんは首を傾げた。
「大袈裟だよ」
「そんなわけあるかっ。……ミーちゃん、この男はね。いまでこそクラスメートにセクハラして興奮する、見下げ果てた変態ゲス野郎だけど」
「誤解だって言ってんだろ」
 僕を無視して、部長はつづける。
「小さいときは、そりゃあ無邪気ないい子だったんだ。そんな子が、小説が書けるだけの性悪クソ女に出会って、弟子入りして。で、染められてっちゃったの」
「小説が書ける性悪ク……女性?」
「……僕の恩師。万田凛っていう小説家。遠縁の親戚なんだ」
 僕がそう言うと、鳥川さんは目を見開いた。
「ええっ、あの万田先生?」
「あんなヤツのことは、どうでもいいんよ」
 鳥川さんの驚きの声を、部長が切って捨てた。
「は、はい」
 あまりの温度差に、僕より遥かに空気を読めない鳥川さんでさえ沈む。
「うん。でね、その万田センセーの下で、シオちゃんはメキメキと力をつけてって。小学生ながら、当時の文芸賞を総ナメ」
「えっ、えええっ?」
「してない、してない」
 そんな天才だったら、苦労してない。
「そうだっけ。……まあ、勝ったり負けたり。少なくとも、一端の作家志望者にはなってたわけよ」
 正確には、勝ったことなど一度もない。僕は師匠にあんなによくしてもらっておきながら、なんの成果も出せぬまま終わった、恩知らずの出来損ないだ。
「まー小説ばっかにかまけたせいで、少年時代に培われるべきコミュニケーション能力ゼロ、デリカシーゼロのクソガキになっちゃったんだけど」
「……本人が真横にいるのに、よくそこまで悪し様に言えるな」
 僕が憎まれ口に反応している一方、鳥川さんは、ほうっと溜息。
「凄い」
「いや……いや。まあ、うん。……いや」
 そんな風に感心されると、言葉がつづかない。彼女の目には、僕をラノベ作家と知ったときにさえなかった羨望が表れていた。
「素で照れんなって」
「う、うるさいな」
 部長がボソッとツッコんでくれたおかげで、僕はなんとか声が出るようになった。
「大したこと、ないんだ。本当にさ。結局、小説家になるのを諦めて、ラノベ書いてるわけだし」
「えっ。……じゃあライトノベルって、そんなにチョロいんですか?」
「チョロくはねえよ?」
 一応、そこは強調しておく。あくまで適性の問題だ。
「で、その。当時の。ラノベを書く前。ただ小説家だけをめざしていた頃の僕より、鳥川さんはずっと書けてる。……当たり前だよね。キミが最終に残った賞、僕は二次選考を越えたこともない」
「それは……小学生のときの話ですよね。いまだったら」
 鳥川さんは枕元に視線を送った。そこには、さっきまで彼女が読んでいた文庫本が置かれている。
「いまこそ無理だよ。もう僕はラノベ作家だから」
 もちろん人によるだろうが、ラノベに特化して脳をチューンナップした今現在の僕では、もう一般文芸作品を書ける気がしない。
「読んでくれたんだね、それ」
 僕は枕元にある三冊の本を見て言った。『ルウちゃん大奇行』既刊三巻。
「は、はい。少し前から妹が、しきりに推してきて。私の部屋に、勝手に置いていったので」
「……そうなんだ」
 あの狂犬、読者さまだったのかよ。それを知ってしまったら、嫌うに嫌えないじゃないか。
「あー。ミーちゃんが熱中してたの、シオちゃんの本だったんか」
 部長が惚けた声で言う。
「気づいてなかったの?」
「うん。だってアンタ、読書中のミーちゃん睨んでて、こわかったから。アタシ、そっちばっか気になっちゃって。……ひょっとしてアレ、怒ってたんじゃなくて、照れてたん?」
「いや、ムカついてたのも事実だけど。……それで、えーと。その本、鳥川さんの目から見て、どうだった?」
 僕が感想をねだると、彼女は視線をさ迷わせた後、こちらを真顔で見た。
「えー……低俗でした」
 瞬間、部長が僕に飛びつく。
「いたっ」
「きゃっ」
「シオちゃんっ」
「な、なに。何事っ?」
 真横からの、ほとんど低空タックルみたいな抱擁。僕は為す術なく弾き飛ばされていた。
「って……アレ? キレてない?」
 どうやら部長は、激昂した僕が鳥川さんに襲いかかると踏んでいたらしい。
「だから、アンタは僕をどういう人間だと思ってるんだよ」
「いや正直、書いてるもん貶されたらソッコーでキレるイメージしかないわ。SNSでも、そうだったじゃん」
「ぐう」
 デビューしたての中学時代。いままで結果を出せずにいた反動か、僕は一時期ほんのり調子に乗っていて。その勢いで、ネット上でも荒ぶっていた。結果、師匠のみならず、色んな大人に叱られたっけ。思い出すたび頭痛がしてくる、若気の至り。とはいえ性分的に、いまでも時と場合によっては同じことをしてしまうだろうと、自分でも承知している。
 しかし、今回の場合。
「鳥川さんの意見は、事実だからね」
 だから貶されたとは思っていない。
「ふーん」
 こちらの腕に、ふよんふよんとした甘い感触の余情を残し、部長は離れた。
「なんだかんだでシオちゃん、ミーちゃんにやさしいよね」
「……別に、そういうわけじゃないよ」
 見ず知らずの相手や、有象無象ならまだしも。あれだけ書ける相手からの批判なら、甘んじて受け入れる。それだけの話だ。
 鳥川魚美という一高校生の書いた原稿は、意固地な僕に、そう思わせるだけの力があった。
 それでも、受賞デビューに手が届かないという現実。小説業界の壁が高いというだけの話ではなく、彼女のそれには、明確な欠点がある。
「僕のラノベは低俗。うん、たしかに。でも、そこだと思う」
「はい?」
「いま鳥川さんの小説に、足りないもの。低俗さ……というか、敷居の低さ。もっと言うと、読者の喜べるものがない」
「はあっ!?」
 鳥川さんが吼えた。さすがの部長も、向こうが荒れるのは予想外だったらしい。どうしたものかと戸惑っている。でも僕からすれば、彼女の怒りは当然だった。作家志望者なら、面と向かって自分の小説を無価値と断じられれば、誰だってこうなる。
 だから批評文でさえ、その点はボカした。書かなかった。書けなかった。直に伝えなければと思っていたから。
「アレは誰のために書いた小説?」
「だ、誰って」
 すぐに答えが出ない辺り、強く意識してこなかった証拠だ。
「自分のための小説になってない? 純文学なら、そこを芸術性重視で突き詰めていくのも有りなんだろうけど。大衆文学だと、そうはいかない」
 鳥川さんは口を尖らせる。
「前に言ってた、エンタメですか? それが私には欠けていると?」
「簡単に言えば、そう。だから僕のに限らず、ラノベを読んで勉強するのは、いい考えだと思うよ」
 すると鳥川さんは目に角を立てながら、引きつった笑みを浮かべた。
「いや、勘違いしないでください。貴方の本を手に取ったのは、好き好んでとか、勉強のためとかじゃなくって。批評で散々叩かれたから、仕返しに粗探ししようとしただけです」
「そ、そう」
「そうです。勘違いしないでください」
「……うん」
 念押しされてしまった。それにしては、夢中で読んでいるように見えたけど。
「とにかくさ。これは批評の前置きにも書いたけど。読者を意識して書いたら、もっとクオリティ上がるんじゃないかな」
「読者を……意識。それって」
 鳥川さんは神妙な顔で、ポツリと言った。
「パ」
「ぱ?」
「パ、パンチラシーンを。私にも書けと言ってるんですかっ?」
「……シーオーちゃーん?」
「ちがうちがうっ、なに言ってんだ。セクハラじゃない。真面目な話」
 僕は言葉を区切り、深呼吸して間を取った。
「僕もそうだった。独りよがりなものばかり書いていた」
「え」
「……鳥川さんの小説、凄いよ」
 孤立している主人公の卑屈な心情。そんな中で出会った陽気な女の子への憤り、不満、転じて愛情。旧友との裏切り合戦と訣別。そして終盤、主人公が自身の欲望と、死に向かう青年への憐憫を秤りにかける罪深さ。色んな感情が入り混じるサスペンスで、最後まで隙がなかった。
「でも、“遊び”がない。短編ならまだしも、かつかつの文章で長いこと語られたら、一般読者は苦痛だと思う」
「シオちゃ——」
「つ!」
 僕を黙らそうとする部長に向かって、鳥川さんが奇声を上げた。
「つ?」
「つ、つ、つづけてください。つづき、聞きたいです」
「……いいの?」
「お願いします」
 僕は深く頷いた。 
「もしかしたら鳥川さんの小説を凄いと感じるのは、僕だからなのかもしれない。小説家志望者だった、僕だから。自分がこうまで書けたなら、こうするのに。ああするのに。そういうビジョンがあるから。可能性に惹かれてしまうから……って」
 神さまは不公平だ。
 なんで僕じゃない。そう思った。
「なんで、あんな自己紹介してた子に、こんなものが書けるんだって。読んですぐは、嫉妬した」
 ふたりとも、もう口を挟んではこない。静かに僕の話を聞いてくれていた。だからこそ僕らしくもなく、するする言葉が出てきた。
 プロでもアマでも。中途半端な立ち位置で小説を書いてることをひけらかすような人間が嫌いだった。口先だけのやつ。自意識過剰なやつ。言い訳だけは上手いやつ。師匠の下で、何人もの紛い物を見てきたから。
「でも、そこから思い直したんだ。キミはあの日、たしかに痛かったけど。見苦しかったけど。だけど、ただ夢を語ってた。だったら、少しも恥ずかしくない。夢を語る人間が、恥ずかしいわけない。バカにするやつの方がおかしいんだ。本当は鳥川さんは、かっ……カッコよかったんだと、思う」
 初めて彼女を知った日、自己顕示欲の塊だと嫌悪した。
 その後、実際に話してみて、やっぱり普通の子かと思い直した。
 ちがった。彼女は普通じゃなかった。僕が焦がれたものを持っている。彼女には小説がある。そして目標に向かって邁進している。
 だから僕は、彼女を応援したい。
「いまどき小説の書き方なんて、わざわざ人に教わる必要ない。だって、山ほど指南書が出てる。技術や知識は、いくらでも独学で身につけられる。でも、僕の実体験からくる指摘は、きっと鳥川さんの役に立つと……と、鳥川さん?」
「ミーちゃん?」
 ふと我に返ると、鳥川さんが泣いていた。ボタボタボタッと大粒の涙を流している。
 しまった。先の言葉が過ぎたか? それとも自己紹介の話を持ち出したのは失敗か。鳥川さんが本気で臨んでいる作家志望者だと見込んだからこそ、本音で語ったのだけど。
 どうしよう。女の子を泣かせてしまった。
「どしたの? ダイジョブ? コイツ殺す?」
 呆然とする僕を尻目に、部長は不穏な言葉を放ちながら立ち上がった。彼女から差し出されたハンカチを目に押し当て、鳥川さんは口を開く。
「す、すみません。自分の書いたものを、こんなに気にかけてもらえてたんだって。び、びっくりしちゃって」
「そんなに?」
 部長は目を見開いて驚いていた。
「っていうか。家族以外の人に、こうまで気にしてもらえたことがなくって。わたっ、私の小説。あれっ、変だな。……編集さんからも電話もらったし、佐藤くんにも批評もらってるのに。こ、こんなの、初めて」
 ああ、知ってる。きっと彼女の心情は、万田凛に弟子として受け入れてもらったときの僕と一緒だ。
「わかるよ。頑張ってることを人に認めてもらうのって嬉しいもんな」
「……うん」
「鳥川さん。結果を出そう。賞を獲って世に出よう」
 小説の魅力は作品によって異なる。だから、どれが一番とかはない。売り上げや知名度なんかで優劣は決まらない。これらは、よく言われる話だ。たぶん正しい。間違っていない。
 でも、結果を出さなきゃ世に出られない。生きていけない。それがプロの世界だ。それが商業作家だ。
 彼女なら、きっとそこに行ける。
「キミが小説家になる手伝いを、僕にさせてほしい」
 今度は鳥川さんが、深く深く頷いた。

 その後、話し込んでいたせいで遅くなり、僕と部長は鳥川家で夕食をご馳走になった。メニューはロールキャベツの入ったクリームシチュー。ひとり暮らしをしだして二ヶ月、僕は久しぶりの家庭の味に、そっと感動。食事中、しょっちゅう狂犬が唸りながら睨んできたけど、そこは一貫して無視で通した。
 六月の空は、七時を過ぎても十分に明るい。それでも時間が時間なので、僕は部長を最寄りのバス停まで送ることにした。
「話してみれば、お父さんもお母さんも、フツーの人だったねー」
 連れ立って歩きがてら、部長が呑気にそう言った。
「まあ、そうだね。みんな、いい人たちだったよ。……狂犬以外は」
「ウケる。……にしてもさ。〈トリカワウオミ〉なんて名付ける両親だから、相当イカれてると思ってたんだけど。単に天然系なんかな」
「……どういうこと? いい名前でしょ」
 鳥川魚美。繊細で優美、そして嫋やかなイメージだ。
「あー……シオちゃんって、料理しない人だっけ」
「へ?」
 部長は「いーの、いーの」と僕の疑問を流した。
 たしかに僕は、手の込んだ食事をまったく作らない。というかマンションに住まわせてもらう間、台所に立つこと自体を師匠から禁じられている。小学生の頃、うっかり包丁で手をズタズタにしたり、たまたま圧力鍋を爆発させたりした前科があるせいだ。師弟関係は崩壊したものの、いまだ週三くらいの頻度で連絡してくる過保護な恩師。僕はずっと、その温情に甘えさせてもらっている。
「ミーちゃんと、仲良くやれそう?」
「う、うん」
 彼女が前日から本日未明にかけて手直しした原稿は、いま僕の鞄の中にある。これを読み、その上で改めてエンタメ性に富んだ案を示す。どうするかは彼女次第だが、場合によっては大工事になるだろう。その協力を惜しむ気はない。僕から言い出したことなのだから。
「LINEのIDも、とうとうゲットしてたねー。……でも気をつけな? あの喜びようったら、スケベ心丸出しじゃん」
「そそそ、そんなわけないだろ。あくまで創作についてのやりとりを交わすために必要なツールであるからにして」
 僕が譫言うわごとのような言い訳を並べ立てている最中、ポケットの中でスマホが振動した。もしやと思い、ドキドキしながら確認すると、やっぱり鳥川さんからの初メッセージ。文面は非常に簡潔だった。
『オメー家どこだよ』
 僕がフリーズする横で、画面を覗き込んできた部長が、ぶははっと笑う。
「コレはユズちゃんかなー。ミーちゃんにセクハラメッセージ送ると、あの子にも見られちゃうかもね」
「そんなことはしないっ……けど、とりあえず今日のところはブロックしとこう」
 色々あった一日の終わりに、あんなヤバい中学生の相手はしていられない。本当なんなんだアイツ。鳥川さんにも匹敵し得る美少女なのに、まったく心惹かれない。やっぱり性格って大事だな。
 やがてバス停についたので、バスの到着時刻を確認する。次の便は、あと二十分ほど。僕らは無人のベンチに腰かけた。
「アタシのこと、恨んでる?」
 唐突に、こちらを見ぬまま部長が訊いた。
「なんだよ、急に。……なんのことだよ」
「覚えてるっしょ? つーか、わかってるっしょ。シオちゃんが万田センセーにシゴかれてたのを、アタシが邪魔した件」
「……あのときは。ヒー姉、僕を助けてくれたんだろ」
 小説家に憧れ、執筆作業に酔いしれ。そうして異常なことをしていたと、いまでは思う。アレは凡庸な小学生が自身にかけていい負荷じゃない。
「アタシは、そのつもりだったけど。でもシオちゃん、ソレがキッカケで破門? されてさ。結局その後、一年くらいで小説家になるのも諦めちゃったじゃん」
「……代わりに、ラノベ作家になれたよ」
「でも、万田センセーみたいになりたかったんでしょ」
「まあ……そんな適性もないのにね」
 僕が自嘲気味に笑うと、部長が悲しげな表情で振り向いた。
「アタシが止めてなかったらさ。きっとシオちゃん、ミーちゃんより早く小説家になれてたよね」
「……根拠は?」
「なんとなく。さっきの聞いてて、そう思った」
「やめてくれ」
 思い出すだに恥ずかしい。押しかけた同級生女子の家で熱弁をかまし、しかも相手を泣かすなど。
「アレは気になる女子の連絡先を入手するため、適当に語ってただけだよ。目的は果たした」
 途端、ガスッと肘打ちが入る。茶化すなという無言の抗議だ。
「いや、あの。……当時は、恨みに思ったことはあったかも。でも、しばらく経ったら。やっぱりヒー姉には、感謝しかなかったよ。現実に引き戻してくれたんだって」
 あの頃の僕は、度が過ぎた無理をしていた。とうに限界を越えていた。憧れに目が眩み、自身の身の程を忘れていた。
 来海緋衣子がいなかったなら、たぶん僕はノーブレーキで突き進んでいただろう。そして確実に、どこか壊れていた。そうなれば恩人である師匠までもが、色んなものを失っていたはずだ。
 目の前の彼女は、けっして僕の理解者ではない。小説もラノベも書かない。同一の意識を共有し合えない。でも、味方だ。救われた。救ってくれた。彼女がいてくれたから、いま僕は僕でいられる。
「いまからでも、また小説書いてみたら?」
 部長は、ポツリと言った。
「いや、鳥川さんにも言ったけど。もうラノベで手一杯だよ。一般文芸、向いてないのも知ってるし」
「書けよ」
「え」
 ふいの断固とした口調に、僕はたじろいだ。
「ホントはラノベだけじゃなくって、小説も書きたいんでしょ? でなきゃ、やたら小説のことで人さまに噛みつかないって。だったら書けよ」
「いや、でも」
「さっきから、ずーっと考えてた。最初シオちゃんがミーちゃんに冷たかったのって、小説書いてるあの子に嫉妬してたせいなんだよね? じゃあミーちゃんが寂しい思いしてたのも、アタシのせい? って。すげー罪悪感」
「いや、そんな」
 そんなわけ、ないだろ。部長はずっと、よくしてくれている。僕にも、鳥川さんにも。
「ヒー姉あっての文芸部だよ」
 つい、また茶化すような口調になってしまった。しかし肘鉄は飛んでこない。
「じゃあ、書いて。アタシのために、ミーちゃんより先に小説家になって。そんで、ミーちゃんにも本気で指導して。そしてアタシの罪を軽くして」
「めちゃくちゃだ。鳥川さんはともかく、僕は」
「見込みもないのに、あの傲岸不遜女がシオちゃん鍛えるかな」
「……それは」
 僕だって、自分を特別だと思い込んでいる時期はあった。無論、自惚れに過ぎなかったのだけど。
「先生に見てもらってる間でさえ、僕は結果を出せなかったんだ。もう今更……ひゃうっ」
 バチンッと背中を叩かれた。
「ソレさあ、もういいよ。無自覚系主人公みたいなの」
「は、はあ?」
「いまの、あくまで小学生のときの話っしょ? アンタもう高校生。いや、まだ高校生。伸びしろなんて、いくらでもあるじゃん。しかもラノベじゃ、きっちり結果出してるし。作家志望者の何割が、シオちゃんと同じことできる?」
「いや、そりゃ……知らんけど」
「試しに匿名掲示板ででも言ってみ? 『小説家になれなかった僕がラノベ作家になった件by佐藤椰子』とかってさ。百パー炎上すっから」
「そりゃあ、するでしょ。言い方に悪意しかないし」
 しかも名乗ったら匿名の意味がない。またネット上でイキリ作家の悪評が立ってしまう。
「そんだけ力があるんだから、もっと欲張れって話。ラノベだけで満足してるんなら、いまのままでいいよ。でも、まだ受賞もしてない素人の女の子を羨ましがるくらいだったらさ。もっと、こう」
「……実は、いま新シリーズ書いてるんだ」
「へっ」
 部長が目をまんまるに見開いた。
「それもラノベだけどね。現代モノのサスペンス系。少し難航してるから、いつ出せるかはわかんない」
 あるいは企画自体が飛ぶ可能性だってあるわけだが、あえて言うまい。
「でも僕だって、前に進んでる。いま書きたいもの、ちゃんと書いてるよ」
「そっ……かぁ。よかったあ」
 部長はグスッと鼻を啜った。
「ヒー姉?」
「ゴメン。油断して、アタシまで涙腺緩んだ。こっち見ないで。……女子を泣かせたことはないのだけが、昨日までのシオちゃんの唯一の自慢だもんね」
「そこまでの言い方はしてねえ」
「……ミーちゃんの件はともかく、コレはノーカンでいいから」
 泣かせてしまった? 大事な人を。僕のヒーローを。いや、でも。嬉し涙か。それなら、いいか。
「だけどシオちゃん。……もう実は、スズちゃんも泣かせてっからね」
「はあっ? 僕が黒木田を? 嘘でしょ」
 そんな覚えは一切なかった。
「アタシ、愚痴を聞いてあげたもん。ほら、アンタら中二の半ば、ちょっと付き合ってたでしょ。一週間?」
「……よ、八日」
 土日と祝日を挟んでいるから、一緒にいた時間はごくごく短いけれど。
「そう。そんでシオちゃん、デビュー決まったばっかで浮かれてて。スズちゃんそっちのけで、ラノベと小説の話しかしなくて……って。合ってる?」
「……概ねは」
 僕は頭を抱えながら応えた。女子の情報共有ネットワーク、おそろしい。
「いや、だけど。別にアイツは、もともと僕を好いてくれていたわけじゃないし」
「……は」
 部長が呆れたような声を出す。僕は若干の気まずさを感じながら説明した。
「もともと黒木田は一年の途中で島に引っ越してきて、知り合いがいなかったんだよ。で、僕は……友達がいなくて。そのうち委員会かなにかがキッカケで、少しずつ仲良くなっていったんだけど」
 やがて歳上の幼馴染みとの仲を勘繰られ、イジられ。嫌々ながら、すでに中一の春、玉砕していたことを告げると、
「へえっ。ヒーコさんにフラれてたのか。ダッセーなあ。じゃあ、かわいそうだから代わりに私が付き合ってやるよ。かわいそうだから。か、勘違いすんなよ。お前がかわいそうなだけだから」
 そう、ニヤニヤしながら言われたのだ。
「つまり、同情。アイツはお情けで僕を構ってくれただけ」

 しかし応募作の受賞直後でのぼせていた僕は、せっかくの初彼女をないがしろにした挙句、顎に掌底を叩き込まれてフラれたのだった。手さえ握れず終わった、蝉の一生みたいに短い交際期間。
 それでも、あんな美人と一時でも付き合えたという事実は、一生の自慢になるだろう。しかも、いまでも友人として親しくしてくれている。有り難い話だ。
 部長は僕の説明に納得いかないらしく、
「だから、いいってば。無自覚系ムーブ」
 などと呟いた。
「弱みにつけ込まれたとは思わんの? だとしたら、一旦距離を置いただけかもよ?」
 僕は聞こえない振り。勘違いして、ぬか喜びしないように。
 部長は長い溜息を吐いた。もう落ち着いたらしく、嗚咽の音は聴こえない。
「そういやシオちゃんのラノベ。ルウのモデルって、アタシだったよねーっ」
「……う、うん」
 その楽しげな声に、嫌な予感しかしない。
「で、二巻に出てきたシチュウちゃん。あの子のビジュアルもスズちゃんそっくり」
「バスまだかな。遅いな」
「シオちゃんアンタ、自分をフった女を自作のキャラクターに落とし込んでるだろ」
「ぐああああああ」
 もっとも触れられたくない話題を、もっとも触れられたくない相手に弄られる拷問。やっぱり今日は厄日らしい。
「た、たまたまだよ」
「ウソつけぇ」
 褐色金髪のヒロイン。
 黒髪ロングの美人キャラ。
 冴えない男子が失恋するたび、行き場のない想いを具象化していった登場人物。情念と愛着の強さゆえか、どちらも作中屈指の読者人気を誇っている。
「もしミーちゃんにもフラれるようなことがあったら、次はシオちゃんの本にパーカー女子が出てくんのかな。楽しみだねっ」
「最悪の読者だよ。……鳥川さんに恋愛感情ないし。仕事上の付き合いだし」
 そうして、やがてバスが到着するまで、僕らは他愛ない雑談を交わし合った。

 ちなみに数年後、僕の幼馴染みが嬉々として放った当てずっぽうは的中する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?