EP『未分化』について

tobariです。
先月1日にデジタルリリースしたEP『未分化』を作るにあたっての私の思想、考えについての書き散らしを下に載せています。

ただ、音楽に限らず、創作においてその作品に対する作者の思いや情動を表に出しすぎることはあまり良くないことだと思っています。これは私個人の考えですが、作品というものは世に出た瞬間に無重力になり、他のいかなる人間からの思想に染まらない宙ぶらりんなものになると思っていて、だからこそその作品に無限の意味が生まれるし、価値が生まれるのだと思います。
ですので、このように思想を表明することは、聴衆の感性を束縛してしまうと思うのです。恐らく、次回以降はこういったことは最低限に控えます。今から下に載せる事柄が、どうか、聴いてくれる皆様の想像力を縛らないようにと願っています。


↓以下、書き散らし↓



コンセプト「"個性"とは何か」
("オリジナリティ"と"価値"の関係)

我々人間を構成するあらゆるもの全ては、全て他の何かから得た借り物でしか無いという考え。それがコラージュアートに似ているなという所から『コラージュ』を作った。

ガラス玉…価値のない、贋作の
ガラス(非結晶, アモルファス)↔ダイヤ(結晶)
ダイヤは価値のあるものの代表、それの対義をとっている
またガラスは脆く壊れやすい

テセウスの船
…テセウスの船のパラドックス : アイデンティティの思考実験。テセウスの船という船があって、その部品をどんどん取り替えていき全て変わってしまっても、それは果たして「テセウスの船」と呼べるのかというもの。


この世は流体である。
揺蕩うように移りゆく人並み、車窓の風景、感動、価値観、世相、全ては境界がなく、この手に決して掴めない波だと思った。

その中でただ1人、あなただけがガラス玉だ。難解なこの世界の中で、ただひとつ光を放ち、わたしにとって確かな、船の錨だった。

つまりこうだ。あなたは無数のあなたになってしまった。

それでも、わたしは構わない。欠片になって散り散りになってしまったあなたを寄せ集めて、繋ぎ止めて、あなたはわたしの心になったから。形のないわたしをわたしで留めるための、楔になったから。

この世は流体である。
空の色がいつの間にか青から赤へ変わるように、人の出会いと別れのように、終わりなく漂う広大な海の中を、私たちは生きている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?