生き辛さを抱えて生きるということ(一人交換日記:永田カビ を読む)

「生き辛い」

そう思うことが僕にはよくある。それは明確に理由を示せる場合もあれば、本当に訳もわからない負の感情が暴走してしまって、「死にたい」としか表現できなくなるような場合もあって、説明が難しい。

僕がまず生き辛いと思ってしまうのは、集中すると体調を崩してしまうということだろうか。僕は昔から根をつめると、風邪を引いたり、集中した翌日に丸一日寝込んでしまうといったことになりがちで、最近では、強烈な頭痛を伴うようになってしまった。そうなると何かに夢中になるのが怖くなってくる。好きな本や好きな音楽、何か新しいことを学ぼうとか、そういったものにガッツリ集中したいのに、自分の体調でブレーキがかかってしまう。また平日は仕事で集中力を使ってしまうので、家に帰ったら体調を回復させるためにあまり無理ができない。常にスマホの充電を気にしているような、そんな窮屈な生活になってしまっている。

他にも人と接しすぎても体調を崩してしまうとか、冒頭でも書いた通り、時折強大な負の感情に襲われて頭や体が動かなくなってしまったりと、とにかくしんどいのだ。

もちろん、世の中人それぞれに悩みがあって、それにどうにか折り合いをつけて生活しているのは分かっているし、そういった人の営みを参考に自分もなんとか生活できているわけで。ただここで言い訳をしたいわけじゃない。

むしろ生き辛いと思っている人に「大丈夫だ。ひとりじゃない。」と伝えたいのだ。

永田カビの「一人交換日記」はそんな気持ちにさせてくれる本だ。

「一人交換日記」はネットで話題になった「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」のその後の物語。(「さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ」を読んでない方はこちらのレビューを参考にするといいかもしれません。→ http://kai-you.net/article/30460://kai-you.net/article/30460)

なぜ大反響のあった「レズ風俗レポ」のレビューを書かずに、その続編をフィーチャーしたかと言うと、「一人交換日記」の方がより「生き辛さを抱えて生きる辛さ」が表現されているように感じたからだ。

前作は「“死にたい”と“死んでたまるか”の狭間で、自分が生きるために必要なものは何かを見つける物語」であったとしたら、今作は「生き辛さを抱えたまま幸福になるための物語」であるような気がする。

それを象徴するようなエピソードが7通目(7話目)ではないだろうか。

7話目は永田カビの「レズ風俗レポ」と「一人交換日記」の連載の存在が家族にバレてしまうというもの。家族仲がよくないことや内容が衝撃的なこともあり、家族には漫画の内容を伏せていたのだが、それが母親にバレ、挙句認めてもらえず落ち込んでしまうというエピソードだ。どんなに世間でよい反響を得られたとしても、身近な人から認めてもらえなければ、結局その世間の評価も上手く受け取れない。ましてや、今まで他人と上手く交流できず、誰かに認めてもらえる体験がなかった人間なら、なおさらだ。そして、その「上手く評価を受け取れない」というのは生き辛さを抱えている人間に共通している部分なのではないかと思う。

本作ではその「評価をどう受け取るか」や、その先にある「愛し愛されること」についても言及されるので、ぜひ読んでいただきたい。

もう一つこの作品の(というか永田カビ作品の)おすすめポイントを。

とにかく「生き辛さの言語化、描写力」がすごいのだ。

特に5話目の「幸福とはそこにある不幸を認識しないこと」という持論を展開し、「私の幸せは、そこにいる母を見捨てること」と結論付けていく流れは鳥肌がたった。人は知らず知らずの内に他人の人生に責任を持とうとしてしまうものだ。その相手は家族だったり、恋人だったり、会社の従業員だったり、様々だ。生活を共にしていく中で、「自分がどうにかしなければいけない」と勝手に思い込み、感情が同期してしまい、相手の不幸を背負ってしまう。

「見捨てる」と永田カビは表現したが、それは非情なことではなくて、自分と他者を「切り離す」ということだ。人は人、自分は自分と割り切るということは昔から当たり前のように言われてきたけれど、その割り切りを意識的に行わなければならない時があるのだ。そして、それをあからさまに表現した永田カビには敬意を表さずにはいられない。

最後に蛇足を少し。

読んでるときは意識していなかったけれど、ほとんどのページが均等に四コマに分かれていて面白いなと思った。下手にコマ割りを考えないので、描きやすいのかもしれないなというのと、物事を淡々と表現できるので、エッセイ漫画としてもいいのかもしれないということも感じた。また常に同じ枠なので、ときたま大枠のコマがあったりするとより印象的になるなと思った。

それでは本当に最後の挨拶。

生き辛さを抱えている人は是非読んで欲しい。そこには生き辛さを抱えて生きる一人の女性の姿があるから。そして、きっと自分の生き辛さを言語化する上で参考にもなると思う。自分は一体何につまづいているのか、何を欲しているのか。それが分かれば少しは生きやすくなるのではないだろうか。

以上、感想終わり。

それではここで、竹原ピストル:「例えばヒロ、お前がそうだったように」を聞いてもらいましょう。


「世界を変えることができるのは、世界が抱く綴りようのない切実だけ。

人を変えることができるのは、人が抱く綴りようのない切実だけ。」

曲中に出てくるこのフレーズは、永田カビにぴったりな気がした。


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