よく死ぬ事はよく生きる事。
こんばんは
生命という器の中にある命
その命をよく生きる
そしてよく死ぬ
そのことを考えながら
生きているとある看護師です。
今日は、私がいつも
文頭で、命をよく生きるの他に
『よく死ぬ』
その言葉を入れているのは
よく死ぬ事を考えるからこそ
よりよく生きることができるのではないか
そう思うためです。
1)忘れられない死に様を教えてくれたこと。
忘れられない患者様との出逢いがあります。
その患者様。80代女性
あと少しで90代というところの方。
特殊な肺炎と、慢性閉塞性肺疾患COPDが重なり
在宅酸素療法をしながら
自宅療養をしていました。
妹と支えあいながら生活されている。
日々の暮らし、食事できるところを
できるなりに管理しても
酸素受容が自宅でできる生活の
最大限となる。
入退院を繰り返し、
その中で
徐々に落ちていく体重、
呼吸の苦しさ。
やるべくしている治療はやっており
その中で、妹様は
毎日毎日面会に来てくれていた。
彼女がなくなる本当に13,4前くらいに
毎日くる妹との面会場面でした。
忘れられない場面。
2)死に際を自分で、考えることとなる
彼女は、その後数日して、
なくなりました。
妹様は、そのとき
私達に、何度もいってくださった。
『姉の代わりに私からも、、
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。』
こんなに苦しいのに
なかなか思うようにいかない体調を抱えて
最後まで、『ありがとう』
その言葉を残していく。
そしてその御家族が今度は
私達他人の医療者に
ありがとうを引き継いで伝えてくださる。
圧巻でした。
言い表せない
心に響く、教えを頂いた感触があるのです。
その言葉だけでなく
そのことばに至るまでの闘病
患者様の言葉
患者様の息遣い
そこから、私はもうただただ圧巻。。
そう思うのでした。
死ぬときは
何ももっていけない。でも
死ぬまでの生き方と死に際で
人は、誰かに何かを残していく
そう思ったのです。
その命の叫びというか
声にならないその生き様に
自らの仕事を通して、出逢うことで、
死をしっかり、見据える事
どう死ぬのか。どう終わるのか。
それを逆算して生きる。
それが
生きることのはじまり
そう思うようになりました。
そしてそのとき自らがたてたゴール
それが
『よくやったと、よくやれたと
笑って死んでいく。
笑おうありがとうを言おうとして死んでいくこと。』
3)死とは命の完全燃焼。
私は死を見据えるということ
それは、今生きているこの瞬間を見失うことではなくて
紛れもない事実を直視する事だと
いいたいです。
そして死とは何なのか生きるとはなんなのか
それが心の隅にいつも、感じるように、考えるように
なっていきました。
その中で死の認識が時代によって変化しているということを
本質として鋭く心に刺さる
深く知る本がありました。
超葉隠論~執行草舟~
そこに書いてあるこの言葉が私に、刺さり
死を見据える、死に際を考える事それが鍵だ。。
その今まで感じていた感触、
察知していた感触から
確かな実感へと変わっていきました。
それでは死に向かって生きるのであれば
今死んでもいいんではないか。
今生きていることそのものが
何なのか。
そんな、ふとした疑問がよぎること、
私もあります。
10から20代のころは頻繁にあった。
なぜ生きてるんだろう
なぜここにいるんだろう私は。
それが最初からわかってたら
苦労はしない。
そしてそれは
正解も不正解もありません。
それぞれの選択と生き方に
任されている。
でも紛れもない事実があってそれは
自分の命は
つながっている命。
過去からのつながり
今あるつながり
その中で生かされている命であること
その紛れもない
壮大な事実。だったらどうするか
どう生きますか。
どう死にますか。
そこを、イメージして、
そのときそれを考えると
息苦しくなる時は、ちょっと休んで。
でも考えていきたいところです。
そして、
この超葉隠論、これは武士道を基盤として
執行先生が書かれています。
この本、私にとって大切な本
これを基盤に
自分の体験、経験の中で得た感触、想い
日々生きている疑問そちらを
考察していく
その中で、生と命と死を考える
記事をこれから、ちょくちょく
上げていきたいそう思ってます。
~秋が深まってきました
あなたが大切にしている本はなんですか。
本、言葉があなたの
一生を変える、
あなたの瞳を深くすることがあります。~
あなたがよき本に出会い
よき言葉に出会い
今日も生きていることを祈って
今日もはじまります
あなたと私の命にありがとうございます
いってきます!
そしてあなたもいってらっしゃいませ!
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