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「ひとりぼっち」は自由だ

今の職場で僕は「ひとりぼっち」だ。

特にイジメられたり、仲間外れにされているわけではないのだけど。
お昼ご飯を一人で食べたり、仕事終わりに誰かと遊びに行ったりしない程度の人間関係。
これといって特に親しい人がいるわけではない、といった感じ。

「ひとりぼっち」なんて聞くと友達いないの?可哀想な人じゃん。
なんてイメージを抱く人がいるかもしれない。

でも、それは間違いだ。
僕はちっとも寂しくないし、適度な距離を保つことこそ職場では必要だと考えている。

仕事の人間関係がつらい。
そう思うなら、ちょっと読んでみてほしい。

感情的に怒る人が多すぎる問題

先日、こんなツイートをした。

どこの職場にも感情的に怒る人がいるもんだ。

今でこそアンガーマネジメントという「怒りのコントロール」が取り上げられるけれど、言葉にする程簡単なことではないらしい。

怒りの根源には自分の欲求が満たされない期待通りに物事が進まないといったことがありそうに思える。
それは周囲の人が自分の思い通りに動いてくれない、といったことの裏返しなのだろう。

つまるところ、他人への期待値が高すぎるのだ。
相手のことを詳しく知らない(または知ろうとしていない)のに、自分の思惑通りに、期待通りに、欲しい答えを行動として示してくれる。
そんな風に考えているのではないか。
僕は感情的な人に会う度にそんな風に思えてならない。

他人の期待に応えない

僕は他人の期待に応えなくていいと考えるようになった。
それは僕が上司からの要求に応じたが故に、たどり着いた答えだった。

僕は以前勤めていた職場では、上司から任される仕事に出来るだけ正確に熟すようにしていた。

そんな僕が仕事を辞めると報告したとき、上司は泣いて引き止めてくれた。
そして僕の辞める決意が強いと知るや否や、手のひらを返したかのように冷たくあしらうようになった。

上司(他人)の期待に応えるべく10年以上共に働き、時には人生の相談相手にもなった。自分の思い通りの答えが得られなければぞんざいに扱われると知っていたなら、最初から期待に応えようなんて考えなかったことだろう。

そう思うのと同時に…

僕自身が「こんなに上司(相手)に尽くしてきたのだから、僕の気持ちを理解してもらえる」という期待があることに気付いた。

結局、僕も他人に期待をしていた。
この経験から僕は他人に期待しないし、他人の期待にも応えないことにしたんだ。

仕事をするのは、自分のため

「会社のため」「上司の期待に応えるため」
口にしないし、自分でそう思っていなくても、その実そんな風に行動している人が多いのではないかと思う。

「お給料がいいから」「同僚から悪く思われたくないから」
そんな風に考えている人もいるのではないだろうか。

僕は他人の期待に応えない、そう考えることになってから働く動機や目標が変わった。

あくまで、働くのは自分のため。

すっごく利己的だけど。
そう考えないと働き続けられないと思った。

ここで、家族のため。とか言えたらいい旦那さん。とか思われるのかもしれないけれど、そんな風にも考えられないのだから仕方ない。

僕は病院で働いている。
僕が興味がある分野は不整脈や心臓カテーテル検査だ。
この分野で働いているときや学習しているときは楽しいと感じられる。

仕事を楽しい、と感じることに嫌悪感を抱く人や否定的な意見をいう人もいるかもしれないけれど…
僕は楽しくもないことを一生やり続けることなんて無理!だと思えてならない。

それにその分野において誰にも負けない知識を得たならそれは強みなり、価値ある存在になれるはずだ。

「ひとりぼっち」だからこそ、適度な人間関係を維持できる

誰かと同じであること。
誰かと一緒であること。
そこに意味や価値があると感じる人が多い。

誰かと違うことをしていると許せない。
これも同じことだ。

こういった同調圧力は、どこの職場にでも存在する。
例外を許せず、排他的な職場環境が生まれる。
でも、そういったことを自分がしている、そういった環境にあることに気づける人はごく僅かみたい。
多くの人が誰かと一緒であることに安心感を覚えるからだ。

一緒であること。同じであること。
これが他人と自分の境界線を曖昧にさせている。
境界線を曖昧にするから、相手の期待に応えようと考えてしまう。
仲間はずれにされたくないから。

僕は「ひとりぼっち」になることで、他人との境界線を明確にした。
相手の期待にも応えないし、仲間はずれにされることを恐れない。
あえて「ひとりぼっち」になることを選ぶことで、適度な人間関係が得られた。

皆んなから好かれなくていい。
疎まれて、嫌われてもいい。
そう考えることで、行動することで、僕は生まれて初めて自由になれた気がした。

「ひとりぼっち」は決して可哀想なことなんかじゃない。
自分と他人の境界性を明確にすることができる。
誰かと一緒、はもういらない。


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