今日も研修の準備です。
介護の仕事の基本ともいえるソーシャルワークについて、学び直していきたいと思います。
ソーシャルワークは、支援をして実践していく専門職の総称だと思いますが、なんとなく相談員っぽいイメージが強いですね。
この記事ではケアマネの資格名がありませんが、ケアマネジャーもソーシャルワーカーだと思います。まぁ、困っている人の生活や人生を支援していく人はソーシャルワーカーと言って差し支えないとは思います。
定義は何だか難しいですね。
生活課題にとりくんで幸福度をたかめていくために地域の人々や地域資源を活用する、そういう感じでしょうね。
日本なので、とりあえずこちらの定義の理解は必要とは思います。
世界的な定義では、その人以外の人々や周囲の環境や社会資源に働きかけるのが役割でしたが、日本で定義されている所のソーシャルワークでは、個人の幸福度を高めていくのが役割となっています。
たぶん同じ内容を言っているのだろうとは思うのですが、周囲にも働きかけるのが役割であると明記されていた方がよさそうな気もしますが、個人のQOLを高めるのだから周囲も巻き込んでいくのは当然、と考えるとそこまで言わなくてもわかるだろう、という意図があるのかもしれません。
ここの所が重要ですね。
”ソーシャルワークは個人に対する支援だけを指すわけではなく、個人と社会の相互関係にアプローチすることが特徴です。組織や社会をより良い環境にすることも目的の1つとなります”
これはもうどんな介護職でも知っているはずの原則です。
特に有資格者や介護の研修を受けた人は必ず聞いているか資料に掲載されている内容です。
しかし、この原則をしっかり守れて支援していれば、まず虐待などは発生しないのですが、実際は虐待の件数は年々増加傾向にあります。
人手不足や業務過多という理由で虐待が発生しているような状況もあるようですが、忙しいからといって他人の人権を侵害できる道理はありませんので、今後更に人手不足が確実と思われる介護業界では、改めて基本中の基本であるこの原則をしっかり腹に落としておく必要があると思います。
PDCAサイクルですよね。
そしてこの流れは介護現場で計画作成や記録等を担当した事がある人なら馴染みの介護過程の展開ですが、そっか、ソーシャルワークの流れがそのままあてはめられている感じだったんですね。勉強になります。
ちなみに、介護現場では、これら①~⑦の内容については、それぞれ記録を残した上で根拠となる記録や関連する記録もしっかりと記録として残しておかないと指定取り消しや報酬の返還等のペナルティが発生します。
上記の①~⑦についての書類は、利用者さん全員分が必要であり、そして時系列でそれぞれの書類に整合性がなければいけませんので非常に煩雑な業務になっており、介護職員が現場で利用者さんの対応に注力できない原因の一つでもあります。
たとえば記録の日付一つとっても、他の書類との整合性がとれていないと行政から指導が入ります。
ペナルティがあると経営的にも事業継続的にも死活問題になるので、どうしても現場の目の前の利用者さんのケアよりも優先度が高い仕事になりがちですが、ソーシャルワークの視点や本来の介護の仕事とはなんぞや、という視点で考えると本末転倒なんですよね。
①~⑦のPDCAサイクルを適切に回す事で、利用者さんのQOLを少しずつ高めていくのが目的なのに、書類作成が優先されてしまって現場での対応が手薄るになる事で必要なケアを提供できない可能性が発生しています。
社会保障費用を抑制したいのであれば、現場の専門職がしっかり現場での役割を全うできるような仕組みが必要ですが、国や厚労省はそういう頭がないので制度が変わる度にいろんな書類を増やしてきました。
裏金問題で記憶にないと言っていれば責任問題にも問われない議員の話を聞いていると、俺たちは何の仕事をこんなに一生懸命やってんだろう・・・なんて愚痴も言いたくなりますが、多くの現場で残業が減らない原因の一つがこの書類整理であり、介護をしたくて介護職になった人がバーンアウトしてしまう原因でもあると思います。
ICT化によりかなり簡略化は出来るようになってきましたが、介護現場のDXを進める上で、これら書類をどこまで簡略化するかというのは本当に重要な課題ですし、それこそ行政毎に書類のローカルルールもあって、A市では不要な書類がB市では必要、なんて事もあるので、早く統一したシステムで介護業界全体が回るようになればいいのですが、それももうここまで続いてきた制度ですから、今更は不可能な気がします。
今でも疾患を個人の問題として考えている人って日本では多いような気がします。
糖尿病にしても単に食べすぎているとかそういう問題ではなく、健康によいとされる食材は総じて高価なので、貧困や格差が原因とも言えますので、単純に個人の問題とは言えません。
ウェルビーイングを高める為の課題は、社会問題であるという事にも繋がるわけですので、そういう意味でもソーシャルワーカーは社会に働きかける役割が重要になっているとも言えると思います。
この頃の状態が今の日本の状態なのかもしれませんね。
実際、介護保険制度の現場でも利用者さんが置き去りの状況はよく見てきました。リッチモンドの理念を改めて現場に落としていく必要があるのかもしれません。
リッチモンドに帰れ!という時期を経てバイスティックの7原則が出てくるのも興味深いです。
個人に焦点があたって社会や環境をどうするという事が抜け落ちてしまっているのも現状の日本の状況に似ているような気もします。
当たり前なんですけど、社会が良くなれば必然的に多くの人々のウェルビーイングも高まります。
リッチモンドがソーシャルワークとは何か、という事を言ってこの時点で45年が経過しています。
この内容は、介護職員を育成する上で必須の基本的な項目になりますね。
特に、人間尊重や自己決定などの基本的な価値観を持つべきとされていますので、介護職員にはこの価値観がなければいけません。
自己決定は、そのものが自立に直結する内容なので本当に重要です。
・・・ここまでは世界のソーシャルワークの歴史でしたが、次は日本の歴史の説明になります。
リッチモンドより前の時代に無料の医療施設や自立支援施設が日本にもあったというのは意外でした。
世界では、一般システム理論(ベルタンランフィ)の時代に日本に欧米からソーシャルワークの理論や方法が導入されたそうです。
しかし、そこから約30年後の1975年の時点でソーシャルワークの理解や浸透の遅れが問題になっていますね。
恐らく地域包括ケアシステムの構築を目指す内容で、地域住民みんながソーシャルワーカーになる、みたいなちょっと何言ってんのかわからないような内容なんですけど、結局は、社会保障費用を抑制したいので、住民は隣近所で助け合ってくださいね(自助互助)、という事なんだろうと思います。
これ、もう間に合うタイミングではないし机上の空論になりそうです。
そもそもこんな事が地域住民でできるようになるのであれば、国という器って本当に必要ですか?という事にもなりかねないので、ある意味で国が担う責任を自分で放棄しちゃっているような形にもなっています。
特に少子高齢化や人口減少が進む地方の地域では、移動の問題をはじめ様々な問題がどんどん顕在化してくると思います。
人手不足、経営不振による公共交通網の減少は、そのまま地域住民の生活の質を悪化させます。
本当なら国や議員にこそソーシャルワークの視点が必要なんですけど、現実はそういう状況でもないのでなんとも言えないですね・・・。
研修資料の準備で調べてみましたが、将来が不安になるような感じなってしまってどうしたものか・・・と悩みます。