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なぜなぜどうして。

チームで連携したり仕事をしたりする上でコミュニケーション能力は必要ですが、大事なのは話や会話が上手とかそういうことではなくて、職員や利用者さんにたいして”なんで?””どうして?”と思えたり、興味を持てることだと思います。

なぜあの職員は、今あそこであの仕事をしているのだろう。

なぜあの利用者さんは、あの行動をしているのだろう。

絶対的な真実は、その人自身にしかわかりませんが、なぜそうなのかを想像することはできますし、そういう想像を自然にして行動いるのが普通だと思います。

特に認知症ケアの場面で、普通ならそういう”察する”事をしているはずなのに、明らかにそういう”察する”事をせずに対応している職員を多く見てきました。なぜ、そういう普通なら察して対応できる事を、それぞれが専門にしているはずの認知症ケアの対応の中で出来ないのか・・・これについてはいつも不思議でした。

理由を聞くと、だいたい以下の返答がある事が多いです。
・ 忙しいから
・ 何度も同じ事を言う(する)から
・ イライラしてしまう
・ 時間がない、人手がたりない
・ 優しくなれない

などなど・・・

気持ちはわからなくもないですが、確かに忙しいし、余裕もないし、何十人もの利用者さんを一人で見守ったり、それこそ直接介護したり、備品を整備する時間だったり、シーツ交換だって必要かもしれないし、緊急の対応が必要な場面だったりもしますが、そこで”察する”事もせずに対応するくらいなら、対応しない方がマシなんじゃないか・・・と思う事もあります。

まぁ無視するのは虐待なのでしてはいけませんが、結局複数の人を同時に対応できないので『申し訳ありませんが少しお待ちください』等の声かけをしてその場を去るという手段もあるはずです。
直接呼び止められて助けを求められているなら違いますし、そういう場合なら尚更もっと”なぜなぜ?”と”察する”対応をしてほしいと思います。

こういう対応を丁寧にする事でその後の利用者さんの行動にも変化があるはずです。
少なくとも僕自身の経験では、きちんと普通に当たり前に”察する”対応をしていればだいたい落ち着いてくれますし、そうならない状態ってまだまだ信頼感が得られていない時期であって、そういう時期にこそきちんとしっかり対応する事で、後々の信頼感の獲得につながるものだと思うし、振り返るとそういう苦労して少しでも近づこうとして”なぜなぜ”とあきらめずにあの手この手で工夫した時期があるからこそ、その後の信頼感の獲得に繋がっていると実感しています。

だから余計に”なぜなぜ?”という相手への興味がなかったり、コミュニケーションであたりまえの”察する”行動ができていない対応(に見える態度など)を見ていると残念だし、介護という仕事が大変で難しくて専門性が高い仕事であるにも関わらず、その一番大切なコミュニケーションの部分で普通以下の対応(本来なら普通の対応よりも更に丁寧な対応が求められるはずなのですが・・・)をして、結果大変だ、対応しきれない、となっちゃうのが何というか残念というか、あきらめる前にもっとやるべきことをやってから評価してほしいなぁ・・・と思います。

指導対象の職員がそういう態度で対応した時によく言うのが『そりゃそこで楽していたらうまくいくもんもうまくかないよね。』という内容です。

『もっともっと利用者さんに興味もって。』
『『なぜなぜどうして?』を自分なりに納得できる理由が見つかるまで繰り返そうか。』

『それが出来てスタートラインだと思うよ。』

言われた職員はその時はわかったような反応なんですけど、これもなかなか難しいですね。

ただ、伝え続けた事でそういう視点に徐々になっていく職員は多いので、昔は意味がないと思った時期もありましたが、今はじっくり時間をかけて変化を見つけて楽しんでいます。

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