ぐだぐだ生きてきた自分のこと


最初に。

どうも、とある人ことトアルです。

相互のnoteを見てて、#発達障害啓発期間 というものを知ったから、自分も自分のことを伝えるために拙い文で綴っていこうと思うので、最後まで見ていってくださると幸いです。

最初に、私が持っている障害のことを話すと、まあ軽度のADHDと、社交不安障害(こっちは発達障害ではないけど一応)。多分うつ病とか、ASD(いわゆるアスペ障害?)とかも患ってそうだけど正式にでてないのでパス。


昔話。


小学校以前のこととか、覚えてないからなんも無いけど上手くやれてたんだと思う。少なくとも、なんも変なこととかなかった。


小学校の話。


小学校からは、他人との違いが顕著だったのかもしれない。ひとつの嘘から、ずっといわゆるいじめを受けてた。
蹴られ、殴られ、まあいちばん酷いのは小3の真夏のマンホールに右頬を押し付けられたことか。未だに傷にはならなかったけど、心の傷としては深く深く残ってることだ。他人とはひたすら浮いてたし、いじめられてたから距離を置かれた。
一人ぼっち、救う宛はゲームだったから帰らないといけない、でもそれまでの学校は?ずっと辛い。
特別支援学級(いわゆる通級)というものに、1年生から居たけど、いじめが辛すぎて、楽しかったけどあんまり記憶が無い。ってかそもそもなんで私はここに通ってるのかすら知らなかった。あとでわかるけど、ここは障害を抱えてる子が来るとこだった。


思えばこの頃から死にたいと思ってたのかもしれない。


忘れ物


小4からいじめは全然苦では無くなったけど、小5と6の先生がすごい嫌だった。
忘れ物したら、「なんで忘れ物した?」って聞かれる。
ADHDは、忘れっぽいからどんなに気をつけても忘れ物をしてしまう。でも、理由のない忘れ物はめちゃめちゃ怒られた。
気をつけても、忘れ物するのに怒られる。
理不尽だった。
1時間ぐらい怒られてる事もあった。
怖くて、よく泣いてた。
「泣いたら許されると思ってんの?」とか「悲劇のヒロインぶってんじゃねえよ」って、他の生徒がいたのに言われた。
笑われた。
しんどかった。
自分の障害を知ったのが、小6だった。
でもそれまでは、どうして忘れ物をするのかとかわからないのに、ずっと忘れ物をしてた。で、怒られてた。

忘れ物をどうしてもしてしまう自分が大嫌いだった。
こんな簡単なことも出来ない私のことが、大嫌い。
死にたくてしょうがなかった。


中学校の話。


小学校のいじめっ子と同じになったせいで、1年は虐められた。暴力、ハブられ、友達すらも手を差し伸べづらい状況だったから、1人になるしか無かった。部活は楽しかったけど、のちに悪夢になる。
アザはたまにできた。でも、心の傷は頻繁にできた。深いから今も忘れることが出来ない、トラウマになってた。


2年生になった。友達と仲良くやれそうだった。違った。
夏休みに親友の1人と大喧嘩して孤立した。私が悪かったからなんも言えなかった。親友の周りは部活友達だったから、散々絵をバカにされた。絵を嫌いになったきっかけのひとつ。もはや陰でコソコソ言われてたし、いじめとなんも変わらなかったなあ。
この頃からTwitterをやってたから(垢は削除済)、Twitter上の質問箱っていうやつが荒らされたりしてた。毎日批判が来る。つらい。ネットに逃げ場すらもなかった。


ついに3年生か。と思ってた。いじめがなければ何でも良かったけど、当たり前のようないじめがあった。全く知らん男子と恋仲にされた。ずっとイジられてた。傍から見たら、イジりの行き過ぎでいじめだった。でも別にそれぐらいで、1、2年にあったような息苦しさはなかった。てか受験で忙しかったのでそれどころではなかった。


ここまでの要因、ほぼ自分が空気を読めずに言ったことだった(3年だけ全く関係がない)。


少しだけ高校の話。


高1の話はネットの人間関係で大分色々あり、人と関わるのが怖くなっていったのがハイライト。
完全に精神的にキツく、自己肯定も出来なくなり、楽しいこともあったが今はもう辛いことしか覚えていない。お互いブロックでもう一線を隔てているぐらい。
仲直りした人もいるが、大抵の人はされた事を聞くとなんで仲直りしたの?とも言われるほどの人へ絶望的に甘いこと。自分を犠牲にすること。
ここも、素の性格として悪かったのかもしれない。今だって、またなにか傷つくのが嫌なのに許してしまう。


傷つけられるのも、傷つくのももう嫌なのになあ。


ここまで書いてきて


こういうことがあって、現実で人と関わることが怖くなって診断を受けに行ったら、社交不安障害が出ていたと言われた。未だに治る気もせず、ただ服用された薬を飲むだけの始末。
好転する未来すら、今はまだ、見えない。

ここまでを省みると、本当に毎日死にたいと垂れるろくでもない人間になってしまったなあ、と思っている。もちろん、こんな人生がいい物だとは思わないし、今だって、何か嫌なことがあったら、昔の嫌な出来事が連鎖的にフラッシュバックして「ああ死にたい」だとか言うようになっている。なんなんだろう。

まあでもここまでなら嫌なことばかりだけど、この障害であっていい事はあった。好きなことに打ち込めるってこと。あと、喋りが好きだからずっと通話で面白い人であれること。それぐらい、かもしれないが私にはかけがいのない長所…だとは思っている。

自分の人生を狂わせたやつらに人生を返してくれとも言わない。というか、ほぼ自分が悪いのもあって言えない。
別に今まで生きてきたことも間違いではなかったと思うし、産んでもらったことには感謝をしてる。


でもせめて、思うこと。
まともな人間として生きたかったなって。
もっとも、自分に障害なんてなかったら、いじめられてなかったし、楽しかったのかな…なんて考えてしまう自分が今は一番嫌いだ。
自分のことを、認めてあげられるならば。もっと楽な視点として、「1個性」と見なすことができる、多分自分も、これから付き合っていく中でそう理解出来る友達とと付き会っていくのが吉でもあると思う。


どこに行く人生のあてもないくせに、ズルズルと生きてる。でも、ここまで歩いてきたのは色んな人に引っ張られてきたから。
そうやって、それを死で無駄にはしたくないからって、死ぬことから逃げてきた。
多分これからもそうだし、多分これで正解だと思う。
なんだかんだ理解してくれる人と出会えてきたから、こうやって生きてる。恵まれてるんだなあ、って思った。


でも決してこれがあるからって扱いを変える必要はなくて、まあ考慮する必要はあるがそうやって敬遠されていくのも、苦しいもの。より一層、お互いが気を遣う。
難しいものだよ、「発達障害」って。


仮に、私のフォロワーでこれを見てて、今知ったとしても扱いを変える必要はない。こういう人間なんだって頭の隅に留めておくぐらいで、全然問題ないよ。


最後に?


これからの自分の人生が実りのあるものなのを願って、せめてこれまでの備忘録としても、これを見てくれた誰かのためになる事を祈って。書き残しておきたくて、この場を借りてグダグダと書いてしまいました。
こうやって、発達障害と向き合いながらもこうやって生きているので、今日も生きてるんだなと思ってどうか見ててください。


それでは。

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