勘違いは人を動かす
始めは就職すること自体嫌だったのに、就職試験に向かう過程において割と努力と時間を重ねた結果、もはや落ちることが心底嫌に感じるようになっていた。これは恐らく、
・サンクコスト
・目的のすり替え
・過去の美化(意味の無いものに努力した自分がバカに見えるのが嫌だという否定的感情からの逃走)
の3つの力が働いていると思う。
ただこの結果がしょうもないと言って腐したいわけではない。
むしろ人生とはそういうものだという肯定的諦めである。
具体的には「就職活動」を例に考えてみる。
就職活動とは、まだ体感したことが無いかつ、数年後という認知の域が及ばないことに対して、何らかの決断をし行動するという、認知的負荷のかかりまくるイベントだ。
そんな鬼畜レベルの特殊イベントに今の自分が下せる絶対的な正解などなく、曖昧だろうがふわっとしていようが、なんとなくでもいいからとにかく動いてみることが重要では無いだろうか。
その理由は、認知の及ばない領域に飛び込むということは今の自分からでは想像もできないようなひっかかりに偶然にも出会う可能性があるからだ。
反対に、もしも嫌な事に嫌と言い続けたままその場から動かなければ何者にも出会うことは無い。
学生時代はそれでも良かった。
学年が上がれば自動的に共同体ごと動かされるシステムが構築されていたから。
だが就職は違う。
自らが動き出さなければ外に連れ出してくれる人もシステムもそこには存在しない。
勘違いでもなんでも、一歩踏み出してみることで良い悪いは別として、事態は動き出す。動き出したら壁にぶつかることもある、穴に落ちることだってある。それでも、好転する可能性だってある。動き出さなければ現状に不満を抱き続ける生活が待っているだけだ。