真実はどこにあるのか

私が"真実のセカイ"に目覚めたのは、ヨーロッパ留学中に受講していた「History of Civilization(文明の歴史)」という大学の授業で教鞭をとっていた一人の教授の発言がきっかけであった。

「私たちがhistory(歴史)というものを語る時は、the historyではなくa historyと表現する。それは何故か_historyというものは読んで字のごとくhis+storyであって、歴史というものは("彼"という視点から描かれた)一つの側面に過ぎないからだ。Historyは複数存在している。だから、『絶対にこれが正しい』という歴史は存在しないし、その物語はそれを描くものたちによって歪められている。君たちにはあくまでそれを前提において私の授業を受けて欲しい。ここにはヨーロッパ各国やアジア諸国からの留学生も居るから若干の見解の相違はあるかも知れないが、私は一つの見解としてみんなにこれまでの歴史を教えていく。」

彼が授業で語る内容は陳腐で面白みのないものであったが、最初の授業で彼が口にしたこの言葉は、私に世の中で"常識"とされている歴史や事象に疑問を呈するきっかけを与えてくれた。

『歴史』には私たちが共通のものと認識させられている世界と闇に葬られた世間に明かされないセカイがあったのである。

しかし、私たちが知るべき多くの『真実としての歴史』は、戦争の勝者やそれらに追従するスパイ(工作員)たちによって、これまで長きに渡って隠蔽され、無いものにされて来た。真実を語る者は消され、正しい指摘や主張をする書物や文献は封殺されて来ているというのが実際のところである。

インターネットが広く普及した今となっては、誰もが情報に簡単にアクセスすることが出来るようになり、何がウソで本当かも分からないほどに情報は操作・改竄され、私たちは真に知るべき情報が見えなくなってしまった。

世の中には隠しておきたい情報があるようなのである。それはナゼ?

歴史に隠された真実を求めるべく、私は『知』の冒険に出ることにした。





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