宗教者が見た山上徹也と旧統一教会について

お久しぶりです。とある地方の理系院卒です。

7月8日、日本でとても悲惨な事件が起きてしまいました。

逮捕された山上徹也容疑者は「特定の宗教団体に恨みがあり、安倍元首相が近しい関係があると思い襲撃した」と述べています。
山上徹也がなぜ安倍元首相を襲ったのか。そして、山上徹也を蛮行に駆り立てたものはなんだったのか。

今回は、事件の考察を、宗教の目線から書いていきたいと思います。

事件の原因

供述

前述の通り、山上は、特定の宗教団体に恨みがあったと述べています。

その宗教団体の名前は「世界平和統一家庭連合」。かつて「統一教会」と呼ばれた宗教団体です。

以下、「旧統一教会」と述べさせていただきます。

山上徹也の母親について

山上の母親は旧統一教会の信者であり、多額の献金のために自己破産したと山上は述べています。

その影響により、山上は大学を中退し、就職を余儀なくされました。

旧統一教会について

教会の概要

旧統一教会は、1954年に文鮮明によって創立された宗教法人です。キリスト教を改変し、「キリストの再臨として文鮮明が生まれた」という旨の教義や反共産主義を中心としており、集団結婚式や霊感商法が話題になりました。

霊感商法・献金問題

「この壺買ってください!」というなんとも胡散臭いセリフがネタとして話されていますが、その先駆けと言えるのが統一教会の霊感商法でした。

霊感商法とは、言葉巧みに他人の弱みや不幸に漬け込み、「この石を買えば不幸を断ち切れる」や「この幸運の壺を買えば解決する」などと、物品を高値で売りつける、まさに詐欺まがいの商法です。

さらに、信者は教団に多額の献金を強いられたこともあり、度々問題になっていました。

安倍元首相との関係性について

安倍元首相は、旧統一教会の関連団体「天宙平和連合(UPF)」主催のイベントにコメントを寄せており、団体の活動を評価しておりました。

また、安倍元首相は祖父の代から旧統一教会との親密な関係があったことが知られており、山上が安倍氏襲撃に至ったきっかけとなってしまいました。

旧統一教会の評価

霊感商法や信者への搾取、更には閉鎖的な団体構成から、旧統一教会は度々「入ってはいけない宗教」として紹介されています。

新宗教に詳しい「えらてんチャンネル」さんも、旧統一教会の危険性をチャンネル内で解説しております。

今回の事件についての対応

今回の事件を受けて、旧統一教会の田中会長は、母親が会員であることを明かしつつも、「献金の事実は調査中だか、近年ではコンプライアンスを遵守している」「安倍元首相との直接的な関連は無いので、(山上の供述内容については)理解し難い部分がある」と、言い訳にも聞こえるような発言をしておりました。

若者に忍び寄る旧統一教会の影

せっかくなので、皆さんにお伝えしたいお話を1つ。

皆さんは大学で、「カープ」という団体を聞いたことがありますでしょうか?

カープとは、「鯉」でもなければ「広島カープ」でもなく、「原理研究会」を指しております。

この「原理研究会」こそ旧統一教会の関連団体であり、統一教会の教えを学生に広めるために大学サークルを装って勧誘活動をしている団体なのです。

全国各地の大学にこの団体は存在し、通りすがった大学生にアンケートと称して近づいて行きます。その後、自分たちの団体をボランティアサークルとして紹介し、「一緒にご飯に行きませんか?」などと言葉巧みに勧誘をしてきます。

「しつこいし、一度は行ってみるか…」と軽い気持ちで行ったが最後、閉鎖的な空間で洗脳が始まってしまいます。このような原理研究会の活動も度々問題になっております。

山上徹也について感じたこと

前提として、どのような状況に置かれたとしても、暴力によって訴える行為は許されざるものであります。

ただ、母親と自身の人生を狂わせた旧統一教会に対する恨みがとてつもないものであったことは容易に想像出来ますし、このように悲しむ人はどれだけいるのだろうかと考えさせられました。

宗教によって救われる人もいれば狂わされる人もいるという事実は真摯に受け止めなければなりません。

読者の皆さんに伝えたいこと

全ての宗教が悪質であると捉えないで欲しい

今回の旧統一教会のように、悪質な団体は存在しますが、教義や活動内容がしっかりとしている宗教も存在します。

昔ほど宗教が必要なくなり、無宗教者が多い今、新宗教に対する風当たりが強くなることは重々承知ですが、今回の騒動で、新宗教が旧統一教会を基準に一般論化されることは大変残念でなりません。

皆さんの身の回りにもひょっとしたら敬虔な信者がいらっしゃるかもしれませんが、過度な排斥は行わないでほしいです。

客観的立場で思想の見極めを

その上で、旧統一教会のような悪質な団体の存在を野放しにしてはいけないことも事実です。カルト団体の存在を容認することは宗教そのものへの冒涜とも言えます。

このような団体ほど、人の弱みに漬け込んだり、誘惑したりすることに長けています。

時には哲学的思想が人生において必要になってくると思いますが、目の前にある哲学が理にかなっているのか、現代社会の生活に適しているのか、他の哲学とはどうなのかなど、主観的にならずに様々な側面から考えていく必要があります。

最後に

今回のように、ある宗教団体によって凄惨な事件が起きたことは、同じ宗教者としてとても悲しく思い、悔しい思いです。このような悲劇が繰り返されないように、とある宗教をしている身だからこそ、このような悪質な団体は許してはならないと改めて考えさせられました。

私自身、新宗教が抱える様々な問題はこれからも考えていきながら生活していきたいですし、宗教者としてあるべき姿を模索しようと思います。

最後になりましたが、安倍晋三氏のご冥福をお祈り申し上げます。


それでは。