#7-D 卒論は不要説 Ver.2

大学教員の憂鬱な時期は12月-2月です。まぁ科研費の申請とか結果発表とかで他でも憂鬱な時間はあるのですが。

なぜこの時期が憂鬱かというと、卒業論文という名の、教員にとっても学生にとってもコスパ最悪の大量の文書作成イベントがあるからです。。。

卒論を書きたい!という学生はどのくらいいるのでしょうか。まして底辺大学、下手したら学生の1%もいないのでは…。そしてできあがったものは、小学生の読書感想文レベルになります。それが底辺大学たる所以。教員はこれを読まないといけません。私の過去記事でも触れているように、底辺大学の状況をご存じの方には、これがもはや学術的な指導にならないことは想像に易いでしょう。

「です・ます」と「だ・である」が混ざってるとかいう問題から、書体が違うという見た目の話、低いレベルのでの改行や1字下げの指摘など、そういうレベルの話から始まります。そしてそれが提出ギリギリまで続いたりするんだろうなー、と予想しています。予想、というのは、現赴任先ではまだ卒論生を持ってないからです。

前任校(MARCH)でも、卒論不要だと感じていました。MARCHなのでもちろんすごい子は学会発表できるレベルですごいんですが、多くの子は何のための研究かがわからなかったり、ロジックが飛躍していたり、統計が不適切だったりと、学術的には全然だなぁというのがたくさんありました。もちろんそれらが学術界に役立つなんてことはほぼありません。所属する研究室に、先輩の卒論だといって文書データが残るだけです。

MARCHでさえこんな感じなので、底辺大学でとてもいい卒論がかける子に会えるとは思えません。指導前から諦めています。

ええ、こういう姿勢がよくないのも分かっています。底辺大学は教員も低レベルです(過去記事#5参照)。でも考えてみてください。割り算ができない学生がいるような大学ですよ?
(伝聞ですが、塩分濃度の計算ができない学生がいたとのこと。どっちからどっちを割ればいいかわからなかった、と。)
日本語がだめだめな学生が多い大学ですよ?
(外国人学生かと思わせるような感想を書いてきます。)

そんな子たち(中には光る子もいます。過去記事#4参照。)が学術的な文章を、適切なデータ収集と分析を経てまとめ上げられるでしょうか。

なのでタイトルです。卒論は不要なのではないでしょうか。

そもそも卒論はなんのためにあるのでしょうか。

調べてみました。

「卒論 意義」でググってトップにでてきたのは愛知みずほ大学のサイト。

卒論を執筆する中で得たスキルは社会に出た後に役立ちます
就職後において、大学の講義で得た専門知識は、特定の業界で役立つ知識が多いですが、卒論を執筆する上で情報を集めたり客観的に自分自身の意見を記述するスキルは、幅広い業界で重要視されています。日頃の講義で文章にまとめる力や論理的な思考、研究方法をしっかりと学ぶことにより、卒論の執筆をスムーズに進めることはもちろん、社会に出ても役立つスキルを身につけることが可能です。

だそうです。これはすごく同意します。卒論というか、研究を行うには、問題を発見し、解決策を考案し、適切な情報を得てそれを適切に解析し、言いたい事をうまくまとめて、適切な方法で報告するという、社会で確実に必要な要素がたくさん含まれます。

でも、これが機能するには一定のレベルとモチベーションが求められます。テニヲハとか、ですますとか、割り算できないとか言ってるレベルの学生が卒論に取り組んでも、このメリットを享受できるとは思えません。

なので、卒論はやめていいのではないでしょうか。やるにしても、本人がやりたいって言う場合のみにしてはどうでしょうか。本人にモチベーションさえあれば、学力の低さは教員の指導でどうにかなると思っています。

かわりに遊ばせましょう。就活に取り組ませましょう。レポートなりを強制して、少しでも知識を蓄えさせ、世界を広げてあげましょう。必要な取得単位数を増やしましょう。そのほうがよっぽど学生のためであり、教員のためになります。

まとめ

現在の、強制的な卒論制度は、不要です。

Ver. 2 追記 220304

学位論文に関する資料を見つけて、少し私の考え方を修正する必要があると感じたので追記。資料は英文校正サービス「Editage」を運用するCactus Communications社が出している「修士・博士論文研究計画の質を向上するためにできること」という資料で、Presented by Yosuke Tomita, Editage Academic Trainer and Consultant; Lecturer, Takasaki University of Health and Welfare となっている。興味ある方はぜひカクタス社のサイトへ。

その資料にて、「学位論文と原著論文の違い」という節があり、このようなスライドが。

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ハッとしました。学位論文は教育の手段の1つであって、自身(筆者)の知識を示すことが目的である、と。これが100%正しいとは思いません、なぜなら学位論文の代替として原著論文が認められる(あるいは原著論文を通したら学位論文となる)ことがあるからです。

ただ、大まかにはこのように分類できる、と。目からウロコ、学位論文がほとんど引用されないのも、学術界はこういう見方だからなのか…!勉強になりました。

まとめ2

強制卒論制度は不要だとは思いますが、教育の手段として卒論が存在するのはOK、むしろ本人が望めば積極的に採用すべきかも。


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