何が「中性的」な「ジェンダーレス男子」だ

ずっと文句です。急に書き始めてすぐ出しました。

多様性をやたら認めてもらおうとする令和。
どの界隈も少数派の声が大きく、圧倒的多数派の意見であってもどんどんと少数派によって潰され、これも時代の流れだから仕方ないことだと片付けられる。このようなことばっかりだ。

国連の定めたSDGsが世間に広まったからか?どれも少数派に譲歩した1つの答えしか認められないような世の中になってしまったと思う。
「多様性というぐらいなら意見も多様じゃダメなのか?」
「意見も多様性を認める世の中だからと片付けたらいいのでは?」
そう言えば「あなたは少数派を差別している」だのなんだの言われる。
あまりにもキツイ世の中だ。

さて今回話をさせてもらいたいのが「性」「ジェンダー」のことである。
LGBT(Q)という言葉がかなり世間に浸透しているが、まだ一定数は理解が追い付いていない人がいるであろう。
ただ、あちこちで目にする耳にすることが多くなったことでどんな人がLGBTにあたるのか、そういうことは分かっている人が多いはずだ。なので説明は省く。
LGBTの人が人生をどのように生き、どのような人とどのような恋愛をしようとも、迷惑が直接かかるようなことがなければ好きにしてもいい。私にとって全くもって関係ないからだ。ここまで何にも不利益を被っていない。
色々言われるが日本はなんだかんだ自由が多い国である。よほどのことをしない限り警察やもっと言えば国に活動を止められることはない。
それらは勝手にやれば?というくらいなのだが、見過ごせないのがLGBT当事者以外が都合よくLGBTを利用していることだ。金儲けのため、承認欲求のため、モテるため・・・。理由はいろいろあるようだが。
ガツンと言わせてもらいたいのが、モテるために「ジェンダーレス男子」になるようなやつ。
あれはLGBTの人に失礼では話ではないか。都合よく使っている奴が多い。下に竿をぶらぶらさせといて何を言ってるんだ&何をやってるんだ。そう思う。
もし言うなら「ジェンダーレス人間」にしとけよ。

男らしい、女らしいと言うことすら憚られる時代になった。
そして中性が流行り、世の中にさらに中性的な人が増えることになるのだろうか。
なんか今の時代は中性的な人しか認めないというような風潮があるように思ってしまう。
自分が考えすぎなのかもしれないが、やはりこの世はおかしくなっているはずだ。

配慮、配慮、配慮!!
今はこればっかり。一部の人に大多数が過剰に配慮してしまっている。日本は民主主義なのにこれでは筋が通らない。
過度に他人と関わらないくらいがちょうどいいのにSNSの発達で狂ってしまった。
自分は「どこかで軌道は変わらないものか」と思うしかない。



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