見出し画像

そして誰も来なくなった File3

「非常用電源だ! 電源はどこだ!」

ダイニングが暗闇に包まれて一同がパニックに陥るなか、今藤はじめの怒声が大きく響き渡った。目が暗さに慣れるまでに時間がかかるので、あちこちで人がテーブルにぶつかる音や、「ごめんなさい」と謝る声、駆け足の靴音、せわしないスーツの衣擦れが聞こえてくる。僕は美里の安否を確かめるべく、彼女が体育座りをしていた辺りに手を伸ばした。しかし、暗闇の中で遠くに行っていないはずの美里の体に触れることができなかった。自分にとって大事なものを落としてしまったときのひんやりした不安が、脈打つ心臓の警報となって胸の内をめぐった。

電気が復旧して明かりがついたとき、目に針を入れられたかのような痛みを感じた。指の関節で目尻を擦って、恐る恐る周囲の様子を見渡した。

各人が右往左往したために、皆が先ほどの場所と違うところで座ったり立ったりしている。マーガレットさんは豊かな髪の毛をかきむしって見るからにイライラしたそぶりを見せて、テーブルの水を飲みほしていた。執事のギルバートさんは非常用電源のスイッチを入れてきた様子で、落ち着いた足取りでダイニングへ帰ってきた。

「あの、皆さん大丈夫ですか?」

僕が誰ともなしに尋ねると、各人が曖昧な微笑を浮かべてうなづいた。きっと「大丈夫でないが大丈夫」とでも言いたいのだろう。僕だって同じだ。精神的な余裕がないが、ひとまず身の安全を確保できているのだから。

あれ、美里は?

美里の姿が消えている。どこかに逃げてしまったのだろうかと思い、ダイニングの外や階段の下を覗いたが、誰もいなかった。玄関は堅く閉ざされたままで、嵐の音が外界との接続を遮断しているのが嫌でも分かった。

そのとき、浜内さんが幽霊でも見たような恐怖を漏らした。

「ちょっと、あそこ…」

浜内さんが震える指で示したのは、大型テレビが設置されているダイニングの中央部分だった。長方形の画面が黒くて堅牢な土台に支えられ、土台の底辺が緑色の絹のカーテンで隠されている。カーテンから延長コードが蛇の尻尾のように伸び、それがダイニングのコンセントまで続いていた。カーテンの足と床のわずかな隙間に、小さなものがのぞいている。

ゆっくりと近づいた僕は、その正体が何なのか分かってしまい、思わず吐き気を催した。それは人間の手だった。色や大きさから、おそらく男性。ギルバートさんに目配せをすると、すべてを了解した彼は、「心臓のお悪い方は見ない方がよろしいかと」と断った後、緊張した面持ちで僕とテレビ台を動かしてくれた。

すでに死後硬直が始まった手の主は、今藤はじめであった。

出血などの目立った外傷はなく、首を絞められたような爪の痕は残っていなかった。毒殺も考えたが、もしそうなら、とうに毒が体に効いているはずであって、あまり食事に手を付けていなかったタイミングの停電なのだから、彼の食事に毒を仕込んだ可能性は低い。わずかに開いた口元が何を告げようとしているのかは分からなかった。ある者は静かに手を合わせ、ある者は胸の前で十字を切り、彼の死を悼んだ。

担架でギルバートさんと部屋の一つに彼を運び込み、ベッドに寝かせて全体を覆うように白いシーツをそっと掛けた。なかなか合掌を辞めることができないでいる自分を気遣ってか、ギルバートさんが僕の肩をコツコツと叩いてくれた。二人でダイニングへと戻ると、浜内さんが眉間に皴を寄せて詰め寄ってきた。

「ねえ、ギルバートさん。これからどうしてくれるつもり? 私たち、事件関係者になっちゃったんだよね? 容疑者になったりしないでしょうね?」

ギルバートさんは清潔なスーツの腕を伸ばして浜内さんの肩を叩いた。

「浜内さん。お気持ちは分かりますが、どうか落ち着いてください。このような事件が起きてしまったのは遺憾ではありますが、軽挙妄動は慎んでいただきたい。できるだけ現場の状況を保存して、警察に従いましょう」

「その警察が当てにならないから苛立ってるんでしょう?」

マーガレットさんが大股で僕たちの前に近づいて、光るスマホの画面を見せた。

「さっきから何度も電話しているけど、圏外でまったく通じないわ。嵐もひどくなっているし、きっと救助も遅れてしまうわね」

「私、絶対に嫌よ! 変な孤島に呼び出されて、殺人犯と寝起きするなんて、堪えられないわ」

浜内さんは今にも暴発しそうである。そして僕の胸を指さして言った。

「あんたのカノジョが犯人よ。そうに違いないわ。だって何処にもいないみたいだもの」

美里に疑いが掛けられているのだと知って、つい語気が荒くなった。

「ちょっと、言いがかりにも程があります。根拠は何もないじゃありませんか。考えたくないですが、美里も犯人にやられてしまったかもしれないんですよ」

僕の反論には耳を貸さず、浜内さんは足早にダイニングのテーブルに座って足を組んだ。自棄になっているのか、グラスに注いだシャンパンを一気に飲み干してみせた。他の招待客はただ黙して成り行きを見守っているだけである。日和見主義ってわけか、と反吐が出そうになったとき、一人の女性が動いた。

「飛鳥くん、あなたの意思の強さと行動力を信頼しましょう。彼女が心配なのはよく伝わっているから、私も協力するわ。救助隊がやってくるまで、この殺人を解く手がかりと、彼女の捜索を続けましょう」

僕はまだ完全にマーガレットさんを信用することはできなかった。初対面の人間に平気で嘘をつける人であるし、「声」が告げた『過去を過去のまま封印したことがある』の意味を測りかねていた。それでも、なぜか僕は彼女が差し出した右手を握った。そうするのが自然の成り行きに思えた。たとえノイ・テーラーが目の前の女性で、僕らを残らず抹消しようとしているのだとしても、事態は変わらないだろう。あえてリスクを冒しても、動けるだけ動いて、考えられるだけ考えて、先の見えない現状を打破していくほかあるまい。結果的に美里の行方を知ることができれば本望だと思った。マーガレットさんは美しい笑みを浮かべて、ウインクしてみせた。

「Thank  you  so much! 飛鳥くん、腹が減っては戦はできぬ、って昔の日本人が言っているじゃない? これからの捜査に備えて、まずは食べましょう。そして」

こんな状況で食事ですかと、呆気に取られている僕を面白そうに見つめて、彼女は続けた。

「私、飛鳥くんに渡したいものがあるの」

                             (つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?