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『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』と、私の不器用さについて。

「お客様がお望みならどこでも駆けつけます。自動手記人形オート・メモリーズ・ドールサービス、ヴァイオレット・エヴァーガーデンです」

私がその物語を知ったのは2021年の金曜ロードショーでした。

「泣けるアニメ」として宣伝されていた京都アニメーションの作品。その特別総集編が地上波で放送されたのです。作品名すら聞いたことがなく、直感的に絵が綺麗だな、と感じて録画したように記憶しています。でも、だいぶ感情は冷めていて「観る前から泣けるなんて言わないでよ、泣けなくなるじゃん」と思いつつ、何気なく鑑賞したところ。

一時間後、部屋には私の涙と鼻水を吸った大量のティッシュの残骸が(汚い表現ですが事実です)。

アニメでここまで泣いたのは久しぶりでした。以降『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』(以下、『ヴァイオレット』)という作品名が幾度も脳内を巡ることになります。

しかし、しっかりTV版を観たいと思っていたのですが、なかなかタイミングが合わず、ずるずると本日まで来てしまいました。

ようやく暁佳奈先生の手による原作小説を買おうと決心できたのは今年に入ってすぐのこと。
久しぶりにAmazonアカウントを動かして、4冊セットで購入しました。
この時点で、『ヴァイオレット』を知ってから早2年も経過してしまっていました。お恥ずかしい限りです…。

その内の2冊、上下巻を読了できた現在までの感想を書き残そうと思う次第です。

ここまでの文章を読んで、私が物事の実行に際して不器用であること、意思決定に時間を要することが、おわかり頂けたと思います。恥を忍んで晒してしまえば、たとえ目の前に「好き」なものが動かず待っていたとしても、それを得ようと行動に移すことが大の苦手です。特に金銭の支払いを伴う決断は未だに心理的抵抗を感じます。

幾つかのそれらしい理由は挙げられますが、詰まるところ、これは私の器の小ささに起因するのものだと告白しておきます。

本来なら存在しないはずのハードルを自分勝手にせっせと拵えて、その枠内で雁字搦めになっている。

「普通に生きられない」「うまく生きられない」……そんな言葉で表現しづらい感覚を抱えているためか、『ヴァイオレット』に登場する人物たちに深い親近感を覚えます。

それと同時に、紆余曲折を経て我が家に届いた作品たちが、とても尊く美しく思えるのもまた事実です。

まるで別世界の世界史を学んでいるかよのうな緻密な舞台設定。
人間の歴史や行動、そして感情を深く見つめていなければ到底書けないであろう物語。
ヴァイオレットの経歴の特異さと普遍的な少女性の両立。
大切なだれかを慕いながら「愛を伝えたいのに上手く言えない」もどかしさを抱えた人物たち。

映像で感じたときとは別の「言葉による世界構成」に目を見張るばかりでした。

ああ、これが好きってことなんだな、と改めて感じた次第です。

他人の為に自分を殺すのが得意で、いままでどれだけ殺してきたのか知らないが、手は恐らく自らの血で染まっている。

『ヴァイオレット・エヴァーガーデン(下)』

他にも大好きで美しい場面はたくさんあるのに……と思いつつ、選んだのはこの一節。上官であるギルベルトへの描写に自分を重ねて、心が抉られる想いです。
ひどく不器用で遠回りな私ですが、長く久しく『ヴァイオレット』を大切に傍においておきたい。そう思っています。

残りの2冊もTVアニメも、ちゃんと鑑賞しよう。ここに書いたからには、そうします。「好き」という気持ちから逃げがちな私への戒めとして。「好き」な世界を増やしてくれた暁先生への感謝をこめて。

あなたにも、良き本との出逢いがありますように。

最後までご覧くださり、ありがとうございました。
また来週、お会いしましょう。

小清水志織

鑑賞作品: 
暁佳奈『ヴァイオレット・エヴァーガーデン上 / 下』(KAエスマ文庫、上巻2015年/下巻2016年)


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