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13. カペラの追憶

カペラ・オリーヴェの部屋にエルが訪れたのは、午後の授業が終わった夕方のことだった。

早くもあの事件から一か月たち、殺気立っていた街の空気は徐々に緩まりつつある。カペラが重苦しい防弾チョッキをさっぱり脱いで、お気に入りの生成色のブラウスだけで登校できたのも、実に久しぶりのことに思われた。

しかし、穏やかになりつつあったカペラの神経を逆撫でしたのが、他ならぬエルクルド・エーフォイの訪問であった。彼女は学院随一の優等生らしく腕をきつく組み、三白眼で土下座するエルを睨みつけている。

「で、なんで今さら地雷を踏みにきたわけ?」

「いずれ、あなたを襲ったことを謝ろうと思っておりました……」

「ふーん。いい度胸ね。気に入った」

しかし、カペラは表情を一変させ、

「んな訳あるかああ!」

と大声でエルに怒鳴りつけた。ほとばしる唾液がエルの黒髪に降りかかる。

「仮にも私立学校に通うレディに暴行をふるっただけでも死罪よ、死罪! ついでに、そのあと気安く私を抱きかかえて部屋に運んだのも、一か月以上嘘をついてたのも末代までの禍根よ。しかも、エレナまで口裏を合わせてたってのも腹立つし……!」

エルは一通りの怒りを受け止めると、エレナの名誉のためにこう言った。

「エレナを悪く思わないでください。あいつは誰よりもカペラさんのことを思って、まっさきに俺に怒りをぶつけてきました。きっと、今でも俺のことを許していないんだと思います」

すると、カペラの表情にふと不思議な影がよぎった。

「エレナらしいな。どうしてあんたの嘘を一緒にごまかす気になったのか分からないけど、あの子のことだもの、理由があるに違いないわ。あなたを許すとか、許さないとかじゃなく、いまの状況ではあなたの力が必要だと思ったんでしょう。ずっとずっと、この広い世界を知りたくて、自分の力で何かやってみたくて、ウズウズしているような子だから」

そう言ってベッドに腰を下ろすと、カペラは手櫛で髪をほぐし始めた。

「エレナとは、長い付き合いなんですか」

ふふっと、カペラは苦笑してみせた。

「年上の男に敬語を使われるの、いい気分だと思ってたけど、やっぱ柄じゃないな。よし、私もエレナを見習うことにしましょう。あなたのことはまだまだ許さないけど、でも一応、テロのときに彼女の命を助けてくれたんだっけね。これからはお互い、対等に話すことにしましょうよ」

「……申し訳ない。カペラさん」

「カペラでいいわ、エルクルド。歳もそんなに離れてないでしょ。私、実は二十二歳なの」

ベッドにうつ伏せになったカペラは、ランプの傍に立てた写真をエルに見せた。まだ幼いが現在の面影を残す気難しそうなカペラと、隣には痩せた女性がひとり、そしてその周りを五人の赤ん坊が取り囲んでいる。

「私はアーリ人の生まれでね。知ってのとおり、戦前も戦後もガリシア帝国に隷属するかたちで細々と生きてきた少数民族。ずっと家は貧乏で、私と母が出稼ぎに行き、父は遠くの街で低賃金労働者として雇われながら、毎日を必死に生きていた。当然、みんなお腹を空かしていたし、熱が出たってお医者は高いから診てもらえない。教区の公立学校さえ途中であきらめた私が、名門の私立学校に通うなんて、絵に書いた餅だった」

エルは、静かに彼女の話の続きを促した。

「私が十七歳の誕生日を迎えた日、周りの恵まれた子たちと違って、誕生日プレゼントを貰えなかったのが悔しくて、くさくさした気持ちでスラム街をうろついていた。そこで怪しい男たちに捕まっちゃってね。いま思えば馬鹿な話だけど、そんなところで無防備に突っ立ってたのが間違いだった。たちまち身体を売る場所の商談がはじまって、なす術なく私が膝を抱えてうずくまっていた、そのときだった」

カペラは弾かれたように立ち上がった。

「スラム街にはとても似合わない、きれいな正装姿の神父様がやってきて、おもむろに十字を切り始めた。はじめ、男たちは神父様を殴ろうとしたんだけど、彼の唱える呪文のようなものが、耳の奥の奥まで震わせるような不思議な力をもっていてね。屈強な男たちがヘナヘナと戦意を喪失してしまったの。感謝してよいのか、恐れるべきなのか、呆然としている私のもとに、神父様の背後から一回り歳下の少女が現れた。そして神父様はこう言ったの」

――わんぱくなエレナが、暇をもてあまして夜の街を歩いてくれたおかげで、あなたと出会うことができたことを感謝します。
――これもきっと、ルーレタのお導きなのでしょう。

「やがて、エレナと私は仲良くなった。当時エレナは十四で、私より三つ歳下だったけれど、その頃から頭の回転がすごく速くてびっくりした。そんな彼が神父様に私を推薦してくれて、特別にミレトス学院の入学を許可されたの。恩を返さなきゃって、必死になって勉強してる。文字すら満足に書けなかったから、ここまで来るのに五年かかっちゃったの」

話し終えたカペラは、机に乗せたカップの紅茶を一口飲んだ。

「どうして、俺にその話を?」

「さあ、なんでかしら。あなたが自分の罪を告白してくれたからかしらね。でも、だからって私が自分の過去を話す義理なんてなかったか。あ~あ、損しちゃった!」

大きく背伸びをしたカペラは、エルに向き直って尋ねた。

「それで? あなたの話は終わってないんでしょう。謝るだけならいつでも出来た。いまになって私を訪れたのには理由があるのよね」

「さすが、主席は頭の構造がちがうな」

「あら、ご冗談」

エルは胸ポケットから三つ折りにした書類を出して見せた。

「エレナにも調べてもらっている、重要案件なんだ。カペラ、あなたのバイト先に、こんなものは届いてなかったか」

カペラは興味深げにその書類をじっと眺めた。しばらく考えたのち、ひとつ確信したように頷くと、反対にエルを見上げた。

「来てたわよ。でも、これが一体、何の意味があるの?」

エルが誰かに真意を話すのは久しぶりのことだった。聞けば聞くほどにカペラの表情はこわばり、手が震え、やがて涙さえ零れ落ちた。そのことに罪悪を感じつつ、ありきたりな慰めの言葉を渡したエルは、また別の日にゆっくり会う約束をして、そっとカペラの部屋を後にした。

(つづく)






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