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『赤目四十八瀧心中未遂』と、救済の有効性について。

「蓮の花は泥水の中で咲くから美しい」

高校時代からお付き合いのある恩師が、私に話してくれた言葉です。蓮の花が咲いているだけでは、きっと感じられない美しさがある。絶対的に美しいものは、この世に存在しないということでしょうか。新と旧、動と静、善と悪のように、美しいという感性もまた相対的であるのかもしれません。

それはある意味では真理でありますが、ある意味では非常に残酷なことだと思います。人も物も、他の条件などなくても絶対的に美しくあれればいいのに、なぜ「蓮の花」に対する「泥水」が纏わりつくのだろうか。なぜ悲しみや苦しみのなかでしか現れない美しさがあるのだろうか。そんな因果を考えながら、車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』(以下、『心中未遂』)を読みました。

主人公の生島はまともな会社員生活を自ら捨て去り、各地を転々とした末に尼崎の出屋敷へと流れ着きます。寝起きを始めた老朽アパートでは、身元の不明な者たちが出入りしていたり、刺青の彫師に施術される男の苦悶の声が響いたり、売春婦が見知らぬ男を家に連れ込んで奇声を発したりします。

異様な雰囲気に満ちた界隈で、生島も伊賀屋の女主人から、食肉の臓物や肉を捌く仕事を任されます。

血、肉、脂、性といったものがあからさまに露出した生活空間。だれかの苦痛がすぐ傍にあって、その正体すらつかめない不穏な場所。

そして、生島が「蓮の花」と形容した、彫師の愛妾と思われる女性、アヤ子との接触によって、物語は恐ろしい方向へと突き進んでいきます。

うちはドブ川部落の蓮の花、いうわけや。兄ちゃんの友達や誰やかや、うちに色気がついたら、男は蝿がたかるみたいに言い寄って来たわ。

『赤目四十八瀧心中未遂』pp.234〜235

治安の悪い界隈でひときわ美貌を放つアヤ子。しかし、彼女の境遇は決して恵まれたものではありません。

アヤ子の幼少期の思い出を聞いた生島が、きっと彼女は父のない家庭で育ったのだろうと想像する場面。アヤ子の手による書き置きが、ほとんど平仮名で書かれているのも、彼女が高等教育を受けられる環境になかったことを暗示しています。そして、ひどく暗い印象を私に与えたのは、まるで陰口をたたくように「あの子、朝鮮やで。」とアヤ子の出自を語る伊賀屋の女主人の台詞でした。

朝鮮生まれの方々に向けられた残酷なまでの蔑視……物語のなかで、それがはっきり目に見える暴力になっていないことにこそ、私は底知れぬ恐ろしさを感じます。「朝鮮やで」の一言で通じてしまうほど、日本の朝鮮に対する優越感が日常に浸透してしまっているからです。

しかし、生島はそんなアヤ子に特別な情念を抱いていきます。アヤ子の方も、彫師の愛妾という境遇から抜け出そうと、大胆かつ危険極まりない行動へ走っていくのです。

この女の言葉は、この世の闇へ沈められた人の言葉だった。その物言いにこもる怒り・悲しみには、己れが人間であることに絶望した人からのみ滲み出て来る「底冷え。」があった。その底冷えを、私は思わず「蓮の花」と言うてしまったのだが。

同上、p234

強烈な個性を発揮するアヤ子。生島が彼女をして「蓮の花」と形容したのは、容姿の美しさゆえだけではありません。身体的な苦痛や性欲を剥き出しにした、暑苦しい情念が交錯する空間。そこから逃げ出すことのできない女性の苦しみ。アヤ子の存在が、決して美しいだけの「蓮の花」でないことは、アヤ子自身の口から語られています。

うちは、もうええの。もう十分、泥のお粥すすってきた。花はいずれ萎れるのよ。

同上、p235

冒頭の恩師の言葉を私が思い出したのは、きっとこの台詞に触発されたからだと思います。

泥水のなかで咲く蓮の花。
悲しみや苦しみのなかでしか現れない美しさ。

そんなアヤ子の背中に、極楽に住むとされる迦陵頻伽の刺青が彫られているのは、最大の皮肉であり、悲しすぎる刻印です。

もしも現代の倫理観にもとづくなら、人々はアヤ子の境遇にどう対応するのでしょうか。

警察官であれば、危険な人物たちを逮捕して彼女を保護しようとするでしょう。
人権擁護団体ならば、女性の人権を訴え、また朝鮮生まれの人々に対する差別を糾弾するでしょう。
職業安定所であれば、彼女に教育訓練の機会を与えて自立できるよう支援するでしょう。

私はこれらの社会的救済を批判するつもりはありません。しかし残念ながら、『心中未遂』のアヤ子に限って言えば、かくあるべきだと信じられている救済すべてが不適当なのです。

なぜなら、『心中未遂』は社会的な道徳や倫理、具体的な救済措置といったものが、まったく通用しない世界を描いているからです。

そんな悲しすぎる世界なんてないよ? と思われるでしょうか。目を大きく開いて、聴覚を研ぎ澄まして、胸に手を当ててあたりを見渡しても、それでも世界は美しいと言い切れるのでしょうか。どんな苦しみもともに乗り越えていけるよ、と隣人に言ってあげられるのでしょうか。

車谷長吉の描いたものの深さと苦しさを、いま奥歯で噛み締めています。

金曜の夜に重たい内容となってしまいましたが、最後までご覧くださり、ありがとうございます。

あなたにも、良き本との出逢いがありますように。

では、またお会いしましょう。

小清水志織

鑑賞作品
車谷長吉『赤目四十八瀧心中未遂』(文春文庫、2001年)

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