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[書評] 心はこうして創られる「即興する脳」の心理学

note のまっさらの投稿欄に「書評を書いてみませんか」と勧誘されたので、やってみることにした。
取り上げるのは非常に影響を受けた一冊、『心はこうして創られる「即興する脳」の心理学』 (講談社選書メチエ)
(著)ニック・チェイター、(訳)高橋達二、長谷川珈

早速序章から引用。

本書は、私たちが自分の心について知っていると思っていたことのほぼすべてが誤りであったことを見ていく。それは心理学の教科書とは違う話だ。教科書ではこうなっている──みんなの直観的理解は大筋では正しいのであって、ただちょっと修正や調整や肉づけをする必要があるだけだ、と。だが、そうした修正や調整はうまくいったためしがないように思われる。通念上の心と、実験を通じて発見された心は、どうにもこうにも一致しないのだ。心についての世間一般のストーリーは、ちょっとだけ直せばよいのではない。廃棄すべきなのである。(中略)心の深部なるものは錯覚だということを指摘するのが第一部なのだ。

そして後の章で、信念、欲望、希望、恐怖、あるいは深層心理といったものから、人の思考や行動を説明するのは無理があることを述べているのだが、私にとっては全く未知の主張というわけでもなかった。
しかし本書に掲載されている文学心理学哲学神経生理学に関する様々な事例によって、曖昧だったイメージに明瞭な輪郭を与えてもらい、フロイトやオカルトについては異論がないこともないが、大筋で合意できた。今はすっかり洗脳されて筆者の言う通りとしか思えなくなっている。

そんなわけで私にとってはページをめくるのももどかしいくらいにワクワクする経験だったが、人によっては、これまで私達が信じていたものは全て幻想であるという話に酷く困惑するかもしれない。

参考になるかはわからないが、少し前のAIについての投稿で書いたが、信じていた世界が崩壊したときの絶望感や虚脱感は知っているつもりだ。そのとき落ち込んだのはほんの数週間の間のことで、その後山頂付近だと思っていたら1合目だった、ということはまだまだ発展の余地があるということ、と思い直すことで随分気が楽になった。

本書の著者も先の引用と同じ序章で次のように述べている。

本書の展開とともに読者は目にするだろう──きわめて現実的な意味で、私たちは自分自身が創り出すキャラクターなのであって、内なる無意識の流れに弄ばれる存在なんかではないことを。そしてまた、新たな知覚や運動や思考はいずれも過去の知覚や運動や思考という各人独自の心の伝統の上に築かれるとはいえ、私たちは素晴らしく自由にかつ創造的に、古い思考から新たな思考を築きうることを。

「うる」と表現しているようにあくまで可能性の話だ。しかしその可能性も一度正しく絶望することでしか開けない。私は2つの引用文の流れをこのように受け止めたが飛躍し過ぎか。

それはともかく、本書は目から鱗の知見が山ほど出てくる。
文章は平易で様々な領域の学問的知見、心理テスト、比喩がふんだんで退屈はしないと思う。洋書の翻訳本は総じて高いが電子書籍のセール期間を待つという手もある。是非一読頂きたい。

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