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本物のニセモノ
今朝とあるテレビのニュースに釘付けになった。
徳島、高知の県立美術館が所蔵している2作品が贋作かもしれないというのだ。
フィクションではよくある話だけど、現実に騙されたちゃうんだ〜!と、ニセモノに高い税金を注ぎ込まれてしまった県民の方を気の毒に思う反面、なんで騙されてしまったのか不思議でならなかった。
個人蒐集家ならまだしも、県立美術館ということは最終的な決裁が下りるまえに、何段階も厳しいチェックが入るはず。
なのに何故?
この2つの贋作を描いたとされている、ドイツの天才贋作師・ウォルフガング・ベルトラッキ氏、別の作品ですでに有罪判決を受けていた。
罪を償ったあと(懲役後早期に釈放され賠償金支払)、今はスイスに住んでいるという。
そして、卓越した技術だけでなく、時代背景など歴史、画家の作風など、綿密な調査をしたうえで乗り移ったかのように作品を描く。
模写ではないのだ。
だから、「◯◯の未発表作品が見つかった!」と言われたらプロの鑑定家ですら騙されてしまう。
私は絵を見るのは好きだが、価値は全くわからない。
ただ教科書で見ていた絵画の実物を見たとき、数メートル離れた先でも受け取れる圧倒的なエネルギーを感じ、名画ってこういうことなのかと納得する。
でも全く素晴らしさのわからないアートも多い。
モノの価値は、いったい何で決まるのか?
誰が決めるのか?
クラシックの作曲家や画家は、誰にも評価されず貧乏と失意のまま生を終え、死後に評価されることも多い。
あまりに突出してしまうと、誰にも理解されず、時代が後から追いつくからだ。
死後何年も経った有名作家の未発表作品を発見!というニュースを時々見るが、そもそも価値をつけるということが烏滸がましいのかもしれない。
その作品の美しさ・凄まじさにうたれる
その作品に込められた作者の魂に触れ、
見るひとの心が動かされる
芸術ってそういうものではないの?
美術界はクレイジーだという、ベルトラッキ氏。
その通りだと思う。
権威のあるひとが素晴らしいと言い、人気が出て、値段があがっていく不思議な世界。
アトリエで実際に描いている映像を見ると、様々なジャンルの作品たちに圧倒され、
「もうこれ、本物でよくね?」と思ってしまった。
今はデジタルアートの作品を発表しているとのこと。
美術史を辿る不思議な世界観らしい。
人を騙すことはもちろんいけないことだけど、一部の仕掛人が値段を吊り上げて売ることは正しいのか?
たとえ本来の市場価値より高額であったとしても、その作品を幸せな気持ちで所有し鑑賞できるなら、誰が損害を被るのか?
そんな感想を持ってしまった朝だった。
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