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手遊びと煙草と折り紙の話

私は手遊びの絶えない、落ち着かない子供だった。

幼稚園で園長先生の話を聞いているときは、砂をかき集めてお山を作ったり、人差し指で地面にうずまきをかいていた。

小学校で授業を受けるようになってからは、文字の「○」や「□」を黒く塗りつぶしていた。(塗るところと塗らないところが交互になることがルールだった)

学生時代によく行ったファーストフードでは、友人と話しながら、カップのフタの「TEA」とか「COFFEE」の凸を凹ませていた。

問題は、大人になった今も、例えば居酒屋でちょっと間があけば、落ち着いていられず、おしぼりを広げては畳んだり、グラスについた水滴を指でちょいちょいしたりしていることだ。

この「手遊び」。みっともないし、「こいつ話聞いてへんやん」と思われてしまう。でも、すっかり大人になった今もやめられない。『手はおひざ』とは、幼稚園のとき先生に教わった。でも、じっとしているのではなく、おひざから離して手を動かすことで、うろうろすることも上の空になることもなく、落ち着けたり、集中することができる。

少なくとも私の場合はそうだ。職業柄、人から話を聞くことが多いのだが、じっと耳を傾けて話を聞くよりも、紙とペンを用意して、忙しく手を動かすことで、集中することができる。

そこで最近私が考えているのが、「折り紙をメジャーに‼︎」ということ。もちろんすでにメジャーだが、「公の場でやってても自然」くらいの感じ。やっぱり和の心だし、なんか品もあるし、紙一枚で何通りも折ることができるし。私はたぶん、角と角をきっちり合わせ、折り目をしっかりと付けた折り鶴をきれいに折りながら、どんな場所でも落ち着いていられる気がする。しかし、現実はそうもいかない。少なくとも居酒屋で折り紙をしている大人はどう考えてもかっこ悪い。ちょっと希望が持てるのは、同じ居酒屋でも、煙草は吸ってもいいということ(ただし喫煙席に限る) 。

煙草は、「手を動かす行為」だ。箱から取り出して、ライターで火を付け、煙を吸う。しかも、ただ吸うだけではなく、ライターの蓋を開け閉めして、なんかチャカチャカ言わせたり、箱から一本取り出してテーブルになんかトントンしても、それなりに格好がつく。(しかもトントンには意味があるらしい!)

主流ではないにしても、手巻き煙草にいたってはもう折り紙である。もしかして煙草って、「社会的に許された大人の手遊び」なのでは。喫煙者に色々事情はあるのだろうけど、ちょっと手遊びしていたいのもあるんじゃないだろうか。

私は煙草が吸えないので、あくまで想像に過ぎないが(私から見れば)、あれは「大人がやってもみっともなくない手遊び」だ。ずるい。とはいっても、世界は禁煙モードで、社会的に許されない雰囲気になってきている。これは、喫煙者にとってはピンチだが、落ち着きのない非喫煙者にとってはチャンスでもあると思う。

「手遊び」を引きずる大人はいくらでもいるはずなので、そのうち煙草に代わって「大人が人前でやってもみっともなくない(むしろかっこいい)害のない手遊び」の波がくるのではないだろうか。もしかして、もうすでにその波は来ているのではないだろうか。そうだといいなぁと思いながら、人目を気にして今日も折り紙を折る。

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