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寝込んでいた時のこと。

陽性反応が出る前に、体調が悪く、とても風邪とは思えないことを、近所に住む実家へ連絡しておいた。
陰性のうちから了解していた家族が、食事を玄関先に届けてくれるらしく、ひとまずホッとした。
ピンポンとインターホンが鳴り、食事をとりに行くと、発泡スチロールの箱の上にお盆があって、食事が紙皿とプラ容器によそってあり、いつもとは違う環境に物寂しさをおぼえた。
体温は一時38.5℃まで上がったが、すぐに解熱し、夜になると37℃台後半まで上がるのを繰り返した。
同僚にそれとなく聞いてみると、大丈夫だよ、と答えてくれるものの、毎朝主任と話してみると、数人の陽性者が出ていたようだ。
仕事は新人に任せてはいたものの、復帰してから実施することになった業務もあり、皺寄せが気になってあまり休めなかった感も否めない。
処方された薬を飲み、ただ眠って耐えた。
痰の絡んだ咳、喉の痛みといった感冒症状は同時に、あるいは交互にやって来て、少しずつ和らいだ。

実家の家族には感染しなかったので、休みは10日で済んだ。これで実家の家族まで感染していたら、申し訳なくていたたまれない。
10日の休暇が明けて、なんとか復帰した時、同僚は笑顔で出迎えてくれた。
そして、ハヤくんも。
安堵の表情が、眩しかった。
「おかえりなさい」
「ご迷惑をおかけしました」
胸に手を当てて、細い目が見えなくなってしまいそうなくらいに細めて、ハヤくんは私に向かって頷いた。
「体調は、どうですか?」
「まだ、3割です」
「えー」
一気に目を見開く。その様子を見て、私は苦笑いした。
「何人か、職員も陽性反応が出て休んでいます。さかきさんとは数日前から食事のタイミングがズレていた人もいます」
「新しく陽性になった人はいますか?」
「ここ1週間は、出ていません」
「ありがとうございます」
主任がやって来て、私は主任にも挨拶をした。主任も待っていてくれて、パソコンの操作をまた教えてよ、と言ってくれた。

久しぶりではあるが、利用者とは少し距離を置いて接した。もう治ったから大丈夫、とはいえ、自宅でも完全隔離だったので本当にもう大丈夫なのかと心配になったからだ。
利用者のいるフロアに少し顔を出して、休んでいる間に溜まっていた仕事をこなして、私は時計を見た。あっという間にもう夕方。病み上がりの疲労もあって、一日がかりでまだ終わらなかった。
残った仕事は明日に回します、とハヤくんに言って定時でパソコンを切った。


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