見出し画像

やさしさに触れた厄払い

私が思う神社という空間

いきなりですが、神社は好きです。
自然豊かなので空気がきれいだし、落ち着いていて、とにかく穏やかな気持ちになれる。

基本的に神社って砂利が多いので、ゆっくり歩いた方が心地がよい。
焦っている時は歩きが早くなるので、歩きづらさを感じた時に「あ、今何かに追われているんだ」って気づくことができる。

これは一例だけど、色々な要素から、神様を信じているとか、お願いごとをする場所というよりは、「今の自分と向き合える空間」というように捉えています。

とはいえ、神頼みするときもある。
これ以上自分ではどうしようもできないと思っている時とか、ここぞという時に、お力貸してください~とか。
「思考」や「思い込み」で行動は変わるし行動が結果につながるので、神頼みしたから良くなるということではなく、「良くしたい」「乗り越えたい」というモチベーションを上げるために行っているのかもしれない。

厄払いに行ってきた

平成5年生まれ。前厄。

生きていれば、調子が良いときもあるし悪いときもある。
とはいえ、昨年あたりから「調子が良い時」は一瞬で、なにかしらに悩んでいたりトラブルが立て続けに起こったり、そのせいで悶々とする時間が多い。

この良くない「気」を払拭したくて、年明けから行こう行こう止まりだった厄払いに行ってきました。

※前厄なのは知っていたけど、「入厄」というのがあるのは今日神社に行って初めて知った。昨年から大きいトラブルが多いのに少し納得。

神主さんの言葉に救われたという話

何かが変わるきっかけになればいいなという淡い期待はあったけど、厄払いをしたから調子が良くなるなんて思っていないし、「気晴らし」程度に考えていたんだけど、始まるときの神主さんの言葉で厄払いというのが何かを知りました。

厄払いは、もちろん悪いものを払うということだけれど、除霊とかそういうものではありません。ここまで無事に生きてこられたことに感謝をして、知らず知らずのうちに犯してしまった自分の罪や良くない行いに反省し、この先自分の体と心に向き合って生きていくためのきっかけのようなものです。

神主さん

「自分と向き合う」というのがびたハマりすぎた。

そして神主さんが祝詞を上げている時、何かこみ上げてくるものがあって、すこし涙が出た。
そんなに落ち込んでいるわけではないし、確かに調子は良くないけど悪いっていうほどでもないのになーって不思議でたまらない。

それに気づいたのか、もしくは名前が珍しいことや標準語を話していたことが気になったのか、終わったあと神主さんからなぜ厄払いしようと思ったかとか、ちょっとした身の上話も聞かれて、すこし自分の話をしました。

・仕事をきっかけに神社に興味を持ち始めたこと
・仕事で関東から越してきたこと
・日本人ではないけど、日本の古き良き文化が好きということ

だんだん神社の話になっていったんだけど、神主さんの「神社は自然の一部」という考えがとても素敵だなと思いました。

神社は自然の一部です。今は梅が咲いているし、来月は桜がきれいです。ご神木も白い花が咲きます。神社は花よりも緑が多いけど、四季を感じられる場所です。たまに、気晴らしにきてくださいね。自然に触れることは心にも体にも良いことですから。

神主さん

自然に触れて、人のやさしさに触れた厄払い

こみ上げた感情が何なのかもよくわからない。
なんで涙が出ちゃったのかもよくわからない。

帰り際に思ったことは、人のやさしさに触れたからなのかな、ありがたいなということ。
どういうやさしさ?と聞かれると言語化が難しい。とにかくやさしさが溢れるひと時だった。

厄払いを通して、日本で古くから美徳とされている「奥ゆかしさ」に魅了され、自分を見つめ直すいい経験をしました。

厄払いとは、何か大きく変わるものではないとは思っていたけど、
気持ちが晴れたことは確か。

神社ってやっぱり良い。好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?