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朝の参拝

月曜朝、目が覚めるとどこか憂鬱な気分。
過ぎた土日を切なく感じているのか、一週間の始まりが嫌なのか。

5,6月頃、この時間になると、わけもなく涙がこぼれてくることがあった。
生活環境の変化、仕事に対するモチベーション、こみ上げてくる孤独感。
全然家を出る気にもならず、時間ギリギリまでベッドに転がるが、やがてその時間がやってくる。
時間という概念が持つ不変さが、とても残酷に感じられ、悲しくなる。

何か嫌なことが起こりそう。漠然と感じる不安。
朝にこのような気持ちを感じた日には、やはりなにかしら嫌なことが起こり
この感情がこみ上げてくることがとても怖くなった。

迷信と呼ばれるモノを信じているわけではないが、無視ができず、
こころのどこかに引っかかってしまう。

ある日、ふと散歩をしていると神社を見つけた。
都会の喧騒から外れ、緑の中にどっしりと佇む境内は、意識してみると
一層厳かな雰囲気を醸し出している。
しかし、それと同時にどこか優しいものも感じさせ、私の不安を受け止めてくれているかのように感じた。

誰かを贔屓するわけでもなく、万人に平等な姿。
神様の前ではみんなが平等。そんな言葉が身にしみて感じられた瞬間だった。

それからというもの、ふと神社に足を運ぶことが多くなった。

お賽銭を投げ、2礼2拍手、感謝と祈りを神様に向かって唱え、深呼吸をして1礼。今まで何度もやってきたこと。しかし、最近は以前にも増して、気持ちがこもる。
真剣に礼をして、真剣に祈る。

実は意味がないことかもしれないが、そんなことはどうでもいい。
実際に自分がいい気持ちになれているのだから。



今日は、朝の言いしれぬ不安を拭いつつ、文字にすることで整理。

今週も一週間、頑張ろう。
では。

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