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言葉はいかようにも編集できてしまう問題

例えば、
「あの若者は電車の優先席を誰にも取られないようにキープしていた」
といわれ、あなたはどの様な印象をもつだろうか?

キープという言い回しが微妙かもしれないが、なんとなく自己中心的な人物なのではないのだろうか?と邪推してしまわないだろうか?

しかし、
「杖をついた年配の方を見かけたので、席を譲る為にあの若者は電車の優先席を誰にも取られないようにキープしていた」
といわれたら、印象は180度変わらないだろうか?

これはいわゆる「情報操作」とよばれる手法だ。
完全に嘘ではないものの、ある事象に対して情報を制限して伝えるだけで、対象の人物の印象を捻じ曲げる事が可能になるという一例を挙げてみた。

世の中には、意図するしないにかかわらず、この情報操作が蔓延ってしまってはいないかと思うのだ。
これはすごい危険な気がしている。何故ならSNSの普及によって、誰もが情報を発信して操作できる時代だからだ。

本当はそんな意図はないというような事で、あらぬ印象をもたされ、窮屈な思いをするなんて事が増えていくのではないかと危惧している。
最近では、組織に囚われ開放されたジャーナリストの方だとか、発言の一部が切り取られ、やたら炎上する芸人だとか、実業家だとか。挙げればきりがないのではないかと思う。

これを意識して防ぐには、方法はいくつかあるかもしれないが、例えば「当事者のコメントとかメッセージなりを切り取りや要約を一切しないで、発信してくれる様な仕組み」を作って防ぐことはできないだろうか?
他者の介入や介在は一切なしだ。純粋にそのままの形で発信がされるようなものである。
ひどく読みにくいし、把握もしにくいだろうが、そういうメディアあるといいなと思う。

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