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しがらみという幻想を捨てて、あなた自身を取り戻せ

 結局しがらみに自ら囚われていただけ。
 自由に生きたいという気持ちに反して、守るものがあるという言い訳の下でそれを失うことを恐れるあまりに、自重したり迎合したり、真っ向勝負を避けていただけ。

 どうせ何か大きなことを成し遂げることなど出来ないのであれば、思いのままに振る舞って、それで駄目なら駄目というまでだ。
 何かと守り重視の社会の中ではブレイクスルーもイノベーションも生まれない。世の中を覆い隠さんばかりの空気を破ってこそ、新しい世界への道が拓ける。

 将来が見通せないのであれば、現状を維持しても意味がない。見通せないのはむしろチャンスだ。どうにでもなるということだ。作りたい未来が作れるということじゃないか。
 今を見て、それに即した方法論で戦う限り未来はしぼんでんでいく。これまでのやり方が通用したのは、過去の話だ。これからを創るのは、これからのやり方、つまり誰も見たことがないし聞いたことがないやり方だ。だから多くの非難を浴びるだろう。でも、だからこそ意味があるのだ。非難を浴びず、批判の声も上がらないようであれば、もはや化石として、いや、塵と化して土に埋もれるだけだ。

 制限を掛けているのは社会ではない。あなたの周囲にいる他人でもない。
 結局のところあなたに一番近い存在、すなわちあなた自身があなたの自由を奪っているのだ。周囲が止める前にあなたが勝手に抑制してしまっているのだ。もしそれをやったらどうなるだろうかと想像することで、あの人は何を考えてあんなことをしているのだろうかと想像することで、あなたの中にはあなた自身が造り上げた世界が構築される。それは現実世界と重なるように存在しながらも別次元で異彩を放ち、現実には全く影響を与えない。
 
 自由でいい。
 思うがままで、いい。

 もしそれが間違っていたとしても、あなたを支持する人はきっといる。声に出さないかもしれない。出せないかもしれないけれど、きっとあなたを信じる人はいる。
 結果として実現出来なくてもいい。その時は、あなたが悪いのではなく、あなたの思いを採用しなかった人々が悪いだけだ。

 弱くてもいい。
 強い人なんていない。いるのは強く見える人だけだ。

 思い込みで何かが解決するのなら良いけれど、実際にはそんなことは起こらない。あなただけの思い込みは世界に通用しない。思っているだけでは誰にも通じない。
 だから声を上げればいい。だれにも気兼ねなく、思いを伝えればいい。
 もちろん、謙虚さを忘れてはいけない。しかし、謙虚さと言わないことは違う。謙虚な気持ちを持ってしても、世界を変えることは出来る。
 そのためには、あなたが思う「世界」を、その世界像を捨てることから始めよう。

 大丈夫。そんなことであなたは傷つかない。
 意識を内に向けるほどに傷は広がるだけだ。傷を癒やすには外に向けて放つしかない。外野には言いたいように言わせておけばいい。そんなのは関係ない。
 あなたはあなたのままで、いい。

おわり
 

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