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偏見に満ちている

 私がここに書き残していることは、私の頭の中に自然発生した言葉たち。全てに裏付けがある訳ではない。だからきっと、偏見に満ちていると思った方が良い。すなわち私の勝手な思い込みや決めつけを綴っていることが多い。

 普段の言動の全てにきっちりとした根拠があるなんて人はまずいないだろう。誰か高名な学者が言っていたなんていうのは何の根拠にもならないし、学術論文ですら決定的な根拠にはなり得ない。
 そう、これは誤解している人が多そうだと常々思っている事がある。それは、学術論文に書かれたことは正しいというのが一般の理解ではなかろうかということ。この誤解の影響は大きい。
 もちろん、それぞれの論文が間違っているという訳ではない。しかしそれでも、取りあえず今のところは正しそうだという仮説に過ぎない。絶対的な真理が論文に書かれている訳では無いのだ。

 これは当然、医学でも同じで、医者が言うことが絶対に正しいということではない。でも医者が言うことが必ずしも間違っているというのではなく、現時点で最善のことが提示されているということ。上で述べた通り、最新の論文が絶対に正しいということではないので、最新論文を読んでいない医者の言うことが必ず間違っているというのではない。

 そんなことを言ったら何も信用出来ないじゃないかと思うかも知れないが、科学の知見がどうなっているかということと、それをあなたが信用するか否かは無関係なことだ。科学は懐疑的だからこそ科学たる面があるのであって、要するに、適度に信じて適度に疑うことが大切だ。

 こんなことを書いておいて何だが、大方のことはだいたい正しいと思って良いので安心して欲しい。鵜呑みにして権威に騙されなければ良いだけだ。
 まして権威でも何でもない私の書くたわごとなどは言うまでもない。偏見に満ちているわけだ。ただ、多くの人が知らずに知らずに抱いている偏見に基づく差別は、良くはないなと思っていたりはする。

おわり


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