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席を確保してから注文の列に並ぶか

 席を確保してから注文の列に並ぶか、購入してから席を探すか。
 個別最適と全体最適の違いを意識しないといけない問題だ。そうしなければ正しい答えは見つからない。
 
 お席を確保してから列にお並び下さいという飲食店がたまにある。買ったは良いが座る席がないとクレームになったことが過去にしばしばあって、その解決策なのだろう。
 こうしたルール化は終始ガラガラの店ではなく、混み合っているお店だとお思いかもしれないが、実はそうでもない。平日はガラガラでも休日になると混雑する観光地などでも実施されていたりすることがある。しかもガラガラの平日でも決めたルールは守る方針らしく、席を決めずに並ぶと怒られたりする。

 そうした特殊な例はともかく、席が先か注文が先かというのは、一般的には混雑した飲食店でありがちな問題だろう。問題と思っているのはもしかすると私ぐらいなのかもしれないが、私は断然、注文が先派だ。
 使っていない場所を占有する権利は誰にも無いと思っている。席は購入した人に使う権利が与えられるのであって、購入予定の人に与えられるものではない。この違いが実は見かけ以上に大きいことに、席取りをする人々は気づいていないのだろうと思っている。

 支払う前に物を占有使用するには、本来はコストが掛かる。実社会では、例えば住宅ローンなどがそれに当たるだろう。ローンを使って住宅購入した際に、当然施主は工事完了引き渡し後にそこを占有使用する。しかし完全に自分の物になっているかと言えばそうではないのはご承知だろう。工事業者には確かに代金を支払っているが、登記簿には銀行が抵当権を設定しているし、その物件には火災保険が付けられてその質権も銀行に設定されている。登記の費用も保険の費用も全て施主持ち、ローンの手数料と金利も全て施主が支払っている。大きな買い物で気が大きくなって忘れているだけで、膨大なコストを払っているのだ。
 つまり、人のものを専有的に使用する権利を得る為には、追加コストの支払いが必要で、これが社会のルールになっている。

 列車の指定席でも同じで、一定の時間帯に席を占有する権利を得るために指定席料金の追加コストを支払っているのだ。座席の上に何かを置いておくだけで優先権と占有権が無料で与えられると思うのだとしたら都合が良過ぎる。実際は、そこまで考えていないだけだろう。小学生の早い者勝ちルールを大人になってもやっているだけだ。

 では、カネさえ払えば良いのか。
 それが、そうでもない。

 座席が有り余っているのならカネで解決するのもありだが、有り余っているなら自由席で十分だ。席取りの必要も無い。好みの席をどうしてもキープしたい時にカネに物を言わせれば良い。
 座席数が足りないのであれば、席の有効利用が重要になってくる。なるべく人が使っている時間を長くしたい。席取り用の荷物だけの為に座席が専有するのは無駄だし、席のコストアップに繋がる。席取りによって使えなかった時間分のコストを利用者全員で負担していることになる。だったら席取りした方が得と考えた方は個別最適解を選んだということになろう。
 
 社会生活を営む上では、各人の判断基準においても、個別最適よりも全体最適が優先される方が多くの人がハッピーになれる。我先にという競争思想よりも、譲り合いという共奏思想の方が社会全体としては幸福度が高まるのだと思っている。
 問題は、誰も自分さえ良ければいいと思っているのでは無さそうだということ。席を取っておくことが全体最適を阻害する可能性があるかどうかなんて視野にも入っていないという点だ。つまり、悪意があってやっていることではないのだ。それどころか善意でそうしている気配もする。これが事態をややこしくしている。

 繰り返しになるが、私の場合は購入してから席を探すことを常としている。だから、空いている席を見つけたと思った時にカバンだけが置かれていると、カバンをどかして座ってやろうかと思うこともある(顔には出さないし実際にはそうしないが)。
 こんなことを言っていると、じゃあお前は花見の場所取りのために早朝にシートを敷いておかないのかと言われそうだから予め答えておく。その通り、場所取りも私は反対だ。花見だろうと花火だろうと、幼稚園の運動会だろうと。なんなら、花粉症なので花見など行きもせぬが。
 もっとも、花火大会で子供達の手を引いて見る場所を探して右往左往していた時に、朝からシートを敷いて場所取りをしていた一行が片隅のスペースを譲ってくれた時は、この上なく嬉しかったりして、未だに良く憶えている。有り難かったなぁ。

おわり

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