飯がうまい
暑くなると食欲が落ちると良く言われるが、私の場合はそんな経験がない。
お腹が弱いので日頃から冷たいものは極力摂らないようにしていて、それは夏になっても同じ。夏場に食欲低下にならないのは、そのお陰かもしれない。
だからと言って、いつも飯がうまいと思って食事しているわけではない。
なんなら、うまい! と声を上げることの方が少ない。黙って黙々と静かに食べている方で、お陰で妻の受けは良くない。
世の中には味覚の感度が高いのか低いのか、やたら美味い美味いと言う方がいらっしゃる。嬉しそうで何よりだし、言われた人は喜ぶこと間違い無いので、周囲を幸せにしてくれる。社会的幸せ効果は抜群だなぁと思う。
飯がうまいのは幸せなことだが、世の中メシウマを糧にしている人が増えすぎではないかと思うことがある。
メシウマとはネットスラングのひとつで「他人の不幸で今日も飯がうまい」の略。
要するに「他人の不幸は蜜の味」と同じで、簡単に言えば「ざまあみろ」。ドイツ語や英語では「シャーデンフロイデ(schadenfreude)」というらしいから、ある意味各国共通の概念ということだろう。いわば妬みの変異株で人類共通の感情のようだ。
「メシウマ」という言い方は、最近、人が喋っているのを聞いて知ったのだが、オッサンの周りでは聞いたことが無かったので、突然出て来た飯がうまいという表現の意味が分からなかった。急に飯の話をして、この人どうしたんだろうと、正直思った。
今では良く使われる言葉なのだろうか。
テレビのニュースやワイドショーネタの多くがメシウマだという見方も出来るだろうから、「メシウマ」という表現がどうとか、若い人がどうこうということではない。人間が抱く感情のひとつであって、敢えてメシウマと口に出さなくとも、年代に関わらず感じているはずで、口に出して言うのは憚られるとか、言ってはいけない類の言葉だという暗黙の道徳みたいなことになっていた気がする。
妬みの感情を持つことは避けられないにしても、多くの人が「メシウマ」を日々の糧にするようになったとすると、足の引っ張り合いになるだけで、より格差が広がって富裕層がほくそ笑むだけではないだろうか。
それどころか日本社会が不同沈下して傾き、最終的には解体してしまうことになりかねない。
「メシウマ」は自分と相手の比較の上に成り立つ相対的なものだから、みんながみんなでお互い同士を「メシウマ」の対象にしていたら、行きつくところには虚無しかない。まるでブラックホールだ。
感情を偽るのはいつまでも苦手な私だが、せめて美味しいものを食べた時は素直に「うまい!」と声を上げられる人になりたい。
まずは身近な幸せ貯金からということで。
おわり
▼参考▼
「メシウマ」を耳にした話
『パパ活で生計、2日で50万くれた大物/10人以上のパパを抱えることができた理由』
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