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今の日本が悪いのは政治や行政のせいだと思っている?

政治や行政が何かとゴタゴタしているのは、何も今に始まったことではない。
その時々で目立つか目立たないかという違いがあるだけだ。

いや、そうはいっても今のこのゴタゴタは酷すぎるんじゃないかと思うかも知れない。
確かにそうなのかも知れない。しかし、これが日本の政治行政の正常運転状態だ。

いろんな事情の絡み合う中で、当事者はしごく真面目に一生懸命やっているのだ。
それなのに結果は芳しくない。それどころか後手後手だったり、嘘つきに見えたり、言い訳に聞こえたり、見当違いだったりするのが普通だ。

そう、それが普通なのだよ。

お互いに対岸

そんないい加減な政治行政はけしからんと思ったとしたら、ちょっとだけ考えてみたほうが良い。悪いのは彼らではないのだということを。

彼らという風に呼んで、まるで対岸の火事を見るかの如く思っているうちは変わりようも無い。
なぜなら彼らからも我々庶民のボヤキは対岸の火事だからだ。

お互いが対岸。

あなたの考え方が悪いということではない。
そういう構造になっているということだ。
どうしたって対岸に見えてしまうものなのだ。
お互いに。

岸のルールと言語の違い

あっちの岸では誰しも別にサボっているわけではなく、むしろ一生懸命なのだと思う。
一生懸命が故に、こちらの岸の感覚からは離れていってしまう。
なぜなら、あちらの岸にはこちらとは別のルールがあって、しきたりがあって、それに従わない限りは事が進まないし、進められないからだ。

同じ岸に立てないのだから変わりようが無い。
同じ岸に立とうと思って川を渡れば、上陸した途端に貴方は我々から見れば向こう岸の人になってしまう。
そうやってこれまでも多くの人質が取られて来たのだろう。

多少なりとも改善を試みようとするなら、あっちの岸と、こっちの岸を繋ぐものが必要だ。
渡船か橋かヘリコプターか。
両岸を往来しやくすして、こちらの岸にも人がいることを常に知らせなければならない。あちら岸の人たちの考えを引き出さなければならない。

両岸を繋ぐチャンネルは様々ある。
選挙の投票、支持する政治家への応援、署名運動、デモ、等。

チャンネルの一つに各種メディアやSNSがあるが、どちらかというと一方向的だし、そもそも、あちら岸では使っている言葉が違うので上手く伝わらない。
政治家が言っていることが良く分からないのは、言葉が違うせいだ。
同じ理屈で、我々の言葉はあちらには伝わらない。

声を上げろ!?

声を上げろと言う。
言葉で伝えるのではなくて声で伝えるのは正しい。
不満だという事実を伝えるために言葉はいらない。それでも敢えて言葉で伝えるのであれば、あちらの言語を使う必要がある。
多くの人が反対しているとしたら、あちらの岸でも無視出来ない。

しかし残念ながら、人によって反対するポイントが違う。意見が違う。
だから、伝えることを主目的にするなら、皆が共通して「反対!」と言える意見だけを取り上げて、そこに注力する必要がある。つまり、全ての意見を伝えようとしたら上手く行かないということだ。

蜘蛛の巣

西洋から取り入れた民主主義は、ここ日本では独自形態の民主主義として成長してきたように思う。
日本社会に適合した形と言えば聞こえが良いが、為政者に都合の良い形になってしまったのだとすれば残念だ。そうだとすれば、われわれは民主と言われながら飼殺されていることになるからだ。
あっちの岸とこっちの岸と思っていたのが実はそうではなくて、あちらの掌の上だったとすれば、われわれの思い違いも甚だしいということになる。

本当のところは私には分からない。
しかし、政治行政がどうも上手くいっていないと感じることが多い年ごろになって数年、政治や行政の実務や実務者が悪いのではないのではないかと思うようになった。
我々は、もっと大きな何かに絡めとられてしまっていて、それに気づかないまま、ただただ一所懸命に日々を過ごしているのではないか。

我々は蜘蛛の巣にかかった餌に過ぎないのではないか。

おわり

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