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思うことをそのまま伝えることと思ったまま言うことは違う

 年寄りが頑固に見えるのは、年を取ると自らを戒めたり改善することに前向きになれなくなるからだ。なぜなら、改善するということはそれまでに行ってきたことを否定することでもあり、その重さはそれまでに生きた年数に比例する。若い頃から正しいと信じて行ってきたことについて、死を目前にそれは間違っているよなんて言われたら、死ぬに死ねない。それがたとえどんなに小さなことでも、俺の人生はいったい何だったんだとなるに違いない。だから、年寄を無闇に否定することは関係悪化にはなれど改善するものではない。
 もっとも、子供返りしたようなお年寄りは長い時を過ごしたことを憶えていない上に言葉を理解しないこともあり、一筋縄ではいかないだろう。

 私はこれまで、思ったことはなるべく素直に伝えた方が良いと思ってきた。今でもそれは変わらない。互いにとって都合が悪いことほど早い段階で率直に告げたほうが、変なわだかまりが残らず、余計ないざこざを回避できると考えてきた。その考えに変わりはない。

 しかし、ようやく最近になって気が付いたことがある。恐らく多くの人が既に知っていて実践していることだ。
 それは、思うことをそのまま伝えることと思ったまま言うことは違う、という至極当たり前のことだ。人に伝える際には、相手が少しでも受け入れやすいよう表現に工夫をするということだ。
 何だそんなことか、と言われてもおかしくはないだろう。よくそんなことで今まで生きてこられたな、と。

 自分でも少なからずそう思う面がありながらも、その過ちを受け入れられない自分が間違いなくいる。簡単な物事ほど、理解しやすいように伝えようという気持ちになれない。そんな程度のことを知らないで放置してきておいて、今更分からないは無いだろうなんて思ってしまうし、言ってしまう。そして私は周囲から疎ましがられ、イジワル認定される。まるで老人じゃないか(良き老人、失礼!)。

 どうしたら前向きになって、スムーズに理解が出来るような言い方を心掛けられるようになるのだろうか。どう表現した方が相手を傷つけないかなと言葉を選びながら喋れるようになるだろうか。

 自分は間違っていないと思いがちだったり、他人の意見を受け入れられず、聞き入れられず、何かとイライラするのに、相手に上手く伝えられなくていざこざになるというのは、何もお年寄りに限ったことではない。その証拠に、書店にはそういった「症状」を改善するための書籍が溢れかえっている。
 他人を少しでも傷つけまいと細心の注意を払うのは良いことではあるが、そうした必要性が強調されすぎるのは精神衛生上良くはない。
 多少の言い換えで上手くいくんだからやってみようよと言われても、各人にはそれが出来ない事情があったりもする。他人を傷つけることが正当化されるはずもないけれど、意図せず他人を傷つける人は何かの事情で本人も傷ついていることが多い。

 傷つきやすい人々が少しの摩擦で傷つき合ってヒリヒリと生きているのが今の時代だとしたら、傷つきにくい心を育むことにも注力したいところだ。生きぬく力は優しい言葉だけでは育たない。無菌状態の純粋培養とは真逆のところに強さが宿る。もちろん、だからといって、相手が受け入れやすい言い方を研究することは有意義なことだろう。

おわり


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