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貧乏くじというメンタリティ

 不遇な境遇にあるとき、そこからどうやって這い上がるかよりも、周囲を見渡していかに貧乏くじを引かないかを考える。いつの間にかそんなメンタリティに支配されていないだろうか。

 どんな境遇であれ、見回せば羨ましく思える他人はいるものだ。そんな時あなたは自分が損をしていると気付く。そして、損をしたくないと思う。しかしそれだけならばまだ良い。
 損という感情は、目に見えて周囲よりもマイナスな状況でなくても意識してしまう感情だから厄介だ。例えばどこかで景品が配られている様な場合。貰える人の方が少ないのだから貰えれば得だというのが正しい認識のはずだが、貰わなきゃ損と思ってしまう。

 損という感情は他人との比較なくしては始まらない。どこかの誰かよりも損をしたくない。社会と対峙するのが共同体ではなく個に収斂された現代では、比較対象があまりにも抽象化されていて、個の外にある何か、その全てが暗黙のうちに比較される。だから常に自分は損をしていることになる。いつも損をさせられているという焦燥感に苛まれているとしたら、それは敵を作りすぎているからだ。無数にいる架空の大ボスと対戦してかなうわけがない。貧乏くじしか入れていないくじを自ら作ってひいても、貧乏くじしかひけない。

 幼少の頃、他人と比較するなと母に言われた。他人と競争するのではなく自分と戦えと。その当時は、他人としか比較しようが無いのにと思っていた。父は父で何か不満があったら自分に当たれと言っていた。それじゃストレスが溜まる一方じゃないかと思っていた。
 今になって考えてみると、貧乏くじをひかないための考え方だったのかとも思う。少なくとも周囲を見回して他人と比較し、自分が損をしていないかを確かめ続けるような習慣は私にはない。それはきっと、無意識のうちに両親の言葉が頭の中で呪いのように囁やき続けていたからなのだろう。自分の不運を呪うことなく生きてこれたことを感謝したい。

おわり


 


 

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