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まだはもう

 相場の格言に「まだはもうなり」というのがある。
 まだ上昇するだろうと思ったときにはテッペンで、もう頂上かと思った時にはまだ上昇が続く。山登りをしていてもこれと同じようなことを体験することがある。人間の状況分析と判断は当てにならないことの戒めとして言われる格言だろう。

 最近はテレビや新聞紙上に円安という言葉が溢れ出した感がある。こうなると、まだまだ円が安くなって行くと感じがちだが、先の格言に倣えば、もう円安は出口に差し掛かっているのかも知れない。
 実際、ここ一週間ではこれまでのような急な下落は止まり、所々で停滞する傾向が見られる。市場参加者の目線が変わってきたことを意味するのか、それとも下落過程の一時的な調整か。それは誰にもわからない。 
 そして、この先行きは誰もわからないということを解ることが重要だ。

 天気予報がよく当たるようになるにつれて、人は先を見通す能力を身に着けたと錯覚しやすくなった。スーパーコンピューターの発達や気象分野の技術発展により予報精度が上がっていることは確かだが、それは未来予測などではなく、コンピューターという箱の中に作られた仮想地球における流体の動きを計算した結果に過ぎない。だから現実を正確に投射したものではあり得ず、だからこそ予知ではなくて予測・予報なのだ。
 つまり、人は相変わらず先が見通せないことに変わりない。

 凡そのことは何でも出来るスマホという道具を手にした人類は、検索すれば大半のことは知ることが出来、ともするとそこで全てが完結するように錯覚する。今ではスマホの中の世界と現実の世界の境目はかなり曖昧になって来ていて、スマホを取り上げられるくらいなら世界を差し出すと言う人もいるのではないかと思わせられる。
 スマホの中の世界はメタバースにすらなれないミニマムな仮想世界なのだが、スマホの中こそが真実と思えたとしたら、一度画面から目を離して周囲を見回した方が良い。

 スマホを手にすることで得られる万能感に酔い、これさえあればもう世界のことは分かったも同然なんて思ったとしたら、あなたはまだ何も分かっていないということかもしれない。
 少なくとも相場の格言はそう教えている。

おわり
 

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