見出し画像

要人警護と銃

 トランプ前大統領の狙撃事件に対しては、様々な陰謀論めいた言説が飛交っている。中には、真犯人は別にいるとか、連政府主導の暗殺計画だったという様な過激なものもある。容疑者が死んだことでそれ以上の追求が無意味だとなれば、公式見解以外の全てが陰謀論として片付けられてしまうから、真相は闇の中と言われても仕方が無いだろう。

 セキュリティの甘さが指摘されているようで、銃を持った人が標的を見下ろせる近くの建物の屋根にやすやすと登れるとは、今の日本の警察なら有り得ないほどの甘さであることに違いないだろう。まして、守られる対象者よりもシークレットサービスの伸長がだいぶ低いとなれば、最初から守る気が無かったと言われてもおかしくない。だからこそ陰謀論が入り込む余地があるとも言えるのだろう。

 武器を持った容疑者を警察官がその場で射殺するというケースは海外では比較的当たり前に行われている印象がある。この点は日本的な感覚からすれば非常に違和感がある。単に銃規制のある無しの差なのか、犯罪に対しての考え方の差なのか、あるいは法や社会に対する考え方の違いなのか。
 警官が銃をホルスターから抜くだけで一大事になる日本の常識はそれはそれで様々な問題点がありそうだが、誰も銃を所持していない前提では銃が無くとも事態の制圧は十分に可能ということなのだろう。

 容疑者がその場で射殺されて一番困るのは、他に真犯人がいる場合だろう。真犯人がいるかどうかよりも、事件現場の制圧こそが重要ということだろうか。確かに、容疑者は最初に発砲した時点で居場所がバレて退路が断たれているも同じだから、自暴自棄になって乱射でもしようものなら犠牲者が増えるだけだ。
 しかしここで湧く疑問がある。なぜ容疑者はあんなにも逃げようのない場所から狙撃したのか。撃つ前から見つかっていたくらいなのだ。つまり最初から死を覚悟して臨んだに違いない。
 そしてもっと不思議なのは、容疑者が発見されてから2分間、トランプ前大統領の演説は中止されなかったことだ。射程圏内の屋根上に不審な人物がいる時点で中止すべきだろう。銃を所持しているか分からなかったとか、北側に配置されたシークレットサービスのスナイパーから見えない位置だったとか、理由はあったのだろうが、不審者に気付いていないのならまだしも発見されていたのだ。

 要人警護というのは、かくも難しいものということなのだろう。
 万全を期しているつもりでも何処かに穴がある。攻撃するよりも守ることの方が何倍も難しい。事が起きてから責めるのは簡単だが、事が起きないように準備するのは簡単ではない。
 普通の市民が飛び道具を簡単に入手出来る環境を良しとするには、それによって自分の身を守る事が出来る以上に自分の身を危険に曝すことになる。そう思うと、この日本に銃が無い事は喜ばしいことと改めて感じる。

おわり

 

 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?