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静かな電車
通勤のために山手線に乗った朝、中国語を喋る御婦人方が近くに座った。そのうちの一人は立て板に水が如く全く止まる気配を見せずに喋り続け、乗車していた二十分間喋り通した。もはやうるさいを通り越して感心するほどだった。
日本の電車に乗った外国人が最初に驚くのは、その静けさだという。シーンとして電話する人はおろか喋る人もいないのは異常な光景のようだ。
静まり返った車内が意味するのは、人々が会話をしていないということだ。
しかし思い返せば、知人と乗り合わせたときに会話しないとむしろ気まずいから、話さないということはあまり無い。意外と喋り続けてしまう事もある。ただ、車内の混雑状況によっては声を抑えたり会話そのものを控えたりすることはある。
だから、車内が静かなのは必ずしも日本人が会話をしないのではなく、話をする相手と乗っていないことが多いということだろう。あるいは気心知れすぎて言わずもがなの関係だとか。
人に話を聞かれたくないということもあるか。何かと噂話になる社会で、ご近所さんに出掛けるところを見つかるのも避ける。見つかったら見つかったで、ちょっとそこまで、なんて言って明言はしない。そんなの今どき無いか。
電車の車両そのものが静かだからというのもあるのだろうか。走行音が静かだから声を張り上げなくても聞こえる。これがディーゼル車両だとそうはいかないし、電車の機能として静粛性を求めるのは日本人くらいなものなのかも知れない。
そういえば日本には静寂がよく似合う。
座禅や鹿威しが典型だろう。農村の農作業風景も淡々と静かに行われているイメージがある。漁船による漁は静かとは言えないが釣りはそもそも静寂を好む。
日本の風景の静寂は決して無音ではない。そこには自然の音が溢れている。虫や鳥の声、風による木々のざわめき、遠く稲光のあとにやって来る雷鳴。そうした音の全てを愛でる国民性だ。
今では西洋風の音楽を流してBGMとか言って悦に入ったりしているが、もともと自然の音が安らぎのバックグラウンド・ミュージックだったはず。その感性を忘れないようにしたい。
都会のや喧騒や他人の悪口をかき消すための音楽だとしたら、音楽にしても本望ではないだろう。マイクを通して叫ばなければ届かないような広い世界ではない。静けさの中に時折チチッと鳴く小鳥の声に耳をそばだてながら森を歩く時に、イヤホンはむしろ邪魔だ。
以心伝心が成立するのは言葉以上のつながりがあることが前提だ。いいじゃないか、言葉巧みに喋れなくても。ポツリと言った一言が沁みるときもある。
今日も私は静かな車内で本を読む。
と思ったら居眠りをしていた。
おわり
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