見出し画像

再発防止対策

 どうしてそうなったのかを考えることは、今後同じことが起こらないようにするための、つまり「再発防止対策」を作るために必須要件だと思うだろうか。恐らく多くの人が当たり前にそう考えていると思われるが、決してそんなことは無い。
 今回起きたことの原因となった何かを排除すれば同じことが起こらないのは正しいが、その対策によって同じことが全く起こらないことにはならない。そのことに気づいているだろうか。
 
 まず第一に、そうした再発防止対策の考え方は物事を単純化し過ぎなのである。実際に起きたことはそんなに単純ではない。余分と思われる要素を剥ぎ取っていけば、ついうっかりという単純さに辿り着くはずだが、そのついうっかりが何故起きるのかは単純ではない。そんなことが防げないとは解せないと言う人は、きっと自分には起き得ないと思っているだろうが、その人の場合、自分だけは大丈夫と思ってしまうことは防げないのだ。

 第二に、原因追及を完璧に行うことは出来ないからだ。原因を探る場合、因果関係を逆に辿って行くと思うが、そのやり方自体、構造的にに漏れが生じるからだ。
 AならばBという事象があった時、Bが起きた原因はAかも知れないということになるのだが、原因を突き止めようとする段階ではBが起きた起きた事は分かっていても、それがAによるものなのかは分かっていない。候補として偶然にもAを探し当てたとしても、それで全ての候補を探し当てたことにはならない。Bが起きたのはAによると断言できるのは、BがA以外の理由では起きない場合だけだ。しかも、Aが起きたZという原因が隠れていることも普通にある。

 こうした前提に立った場合、実際の原因調査と再発防止対策がどうなるかは分かるだろう。形だけ作ることは出来ても、それが真の原因調査になることも、真の再発防止策になるのでもない。
 身も蓋もない、と思っただろうか。出来うる範囲で対策をするのは極めて現実的な話であって、何もせずに放置して良い訳が無いと。その通りだ。そのことの有効性を否定したいのではない。

 むしろ、おざなりの再発防止対策をするだけで済んだことにしてはいけないということだ。安易に原因を突き止めたと思い込んではいけない。
 まして、二度とこのようなことが起こらない様に努めてまいります的なことを言えば済む記者会見などいらない。
 こう言うと、徹底した再発防止の努力を求めているかに聞こえるかも知れないが、それも違う。

 紛らわしいだろう。
 でも忘れてならないのは、私たちは忘れるということだ。でもそれが出来ない。だから、絶対に間違ったことが起こらない様にすることは不可能なのだ。間違いは忘れた頃に起きる。

 大切なのは、間違いを起こさないようにすることよりも、間違いが起きた時にそれを吸収してしまうようなクッションを設けておくことだ(間違いを起こさないようにすることに意味がないとは言っていない)。バッファとか余裕とも言われる。
 ダイヤ通りに電車が来ないと遅刻するのは、余裕がなさすぎるのだ。早く着いてしまうのが無駄だと思ったら気を付けた方がいい。

おわり

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?