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漫画族の憂鬱

 学生の頃は貪るように読んだ時期もあった漫画。それがいつしか私からは離れて行った。そしていまや、漫画しか読まない人の言動に違和感を抱くことが多い。そうした人を心の中で漫画族と呼んでいる。

 漫画の存在を否定するつもりは全く無い。
 私が違和感を抱くのは漫画だけに心酔している読者が日頃発する言葉の方だ。漫画の世界を信じ切って、そこに踏みとどまって世界を知っているかのように発言する人々だ。
 
 漫画が描く人物やストーリーが悪いのでは無い。漫画はむしろ、そうしたことがストレートに入って来る手っ取り早い媒体だ。しかしその手っ取り早さが仇になっていると感じる。画像として脳内に到達する情報は文字とは別の回路に入る。画と文字という漫画独特の組み合わせは、もしかすると情報としての定着が極めて効率的に行われるのかも知れない。それと同時に、記憶された情報の取り出しが素早く行えるのかも知れない。そうだとすると素晴らしい効果だろう。

 問題なのはその世界観なのだ。漫画による世界の切り取り方は、どこか偏りがあるように感じる。それが何なのか。
 それを知るためには再び漫画の世界に没入してみる他無いが、きっとそれは内側からは見えない何かなのだろう。

 漫画も小説も映画も概ねフィクションなのだが、漫画で描かれる世界は小説よりも映画よりも実在感が強いと感じる。読んだ人が影響を受けやすい。信じ込みやすい。小説や映画の場合は批判的な視点が伴うことが多いが、漫画の場合はどうだろうか。一歩引いた時点で漫画を評論している素人漫画ファンにはあまりお目にかからない。むしろ漫画の世界を全肯定している。
 腐った世の中なんだから漫画の中の世界くらい肯定したくもなるということだろうか。

 一方で、名言や名ゼリフに勇気づけられて生きるモチベーションになっている場合もあるだろう。普段の息抜きに別の世界に浸りたい、それが休息になっている場合もあるだろう。何より漫画の世界に広がる創造性に胸をときめかせるのが何よりも楽しいということもあるだろう。
 それは全く否定しない。
 
 私が言う漫画族とは、漫画の中で覚えた世界観以外を受け入れない人たちのことだ。それはある種の無菌状態、理想状態でありながら、現実世界を斜に見る世界観だ。
 これは漫画に限らず、日本人の多くに宿る世界観であるような気がしている。テレビのワイドショーや週刊誌、スポーツ新聞ネタに群がるのも根は同じように感じる。
 現実逃避とは違って、でも歪んだレンズを通して見ることで現実が直視出来ない、そんな感覚だ。

 現実を素のままに見据える目を養うことも大切なのだ。
 それはなかなかに難しくて、私もまだまだ序の口でしかないが。

おわり

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