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期待外れ?

 ネットでのお買い物が日常になって、私が一番気にかけるのは口コミだ。
 どこまで信用して良いのか分からないのも口コミだが、当てにしない訳には行かない。それはきっと誰しも同じだろう。
 口コミの中でも顔出しでやっているYoutuberの動画はたとえプロモーションだとしても信用することにしている。だから私にとってはガジェット系Youtubeが欠かせない。

 買う前にいくら口コミを確認したとしても、手元に届いた商品を実際に使って評価するのは自分だ。当然、口コミとは違う感想を抱くことも多い。ただ私の場合、商品が届いた時には買う前に読んだ口コミの内容は忘れているし、口コミは自分の選択に対する保険みたいなものだから買って後悔することはあまりない。

 私の場合、口コミを当てにするのは自身の無さが原因の一つだが、基本的に前評判は入手しないという友人がいる。
 良し悪しは自分で判断したいということかも知れないが、必要以上に期待感を膨らませてしまうのを避けたいという。期待が外れたときの喪失感が嫌だとか。
 確かにそれはある。
 面白いと聞いて見に行った映画。勧められて読んだ本。
 期待しすぎると作品のハードルが勝手に上がってしまい、残念な感想になってしまうことも。
 後日、どう?面白かったでしょ?、と聞かれたときの空気感は避けたい。

 期待はしばしば己の中で願望となって膨れ上がり、その願望が想像上の確信に変わったときは気をつけた方が良い。
 自分の子は天才かもしれない、という思いを抱くのは親なら誰しも経験があると思うが、世の中天才などそうはいない。
 期待されて上手く行っているうちはまだ良いが、期待通りに行かなくなったときの終わり方には気をつけたい。
 勝手に期待した方は、天才ではなかったのね、諦めましょと思うだけかもしれないが、期待されていた方はたまったものじゃない。
 下手をしたら自己否定の罠にハマるかもしれない。

 自己肯定感という言い方をよく聞く。
 自己肯定感が無いというのは、裏を返せば自己否定という事だ。肯定しないだけで否定ではないと思うのは詭弁で、要するに自己に対してネガティブということには変わりない。
 問題は、このときの自己を見ているのが誰かという事だ。自己を見つめる視点の話だ。
 人は色々な人に支えられて生きていると言われるが、中でも一番重要なのは親だ。もしくは親に代わる存在だ。
 ここで言う親とは、あなたのすべてを無条件で受け入れ許容してくれる人のこと。
 どんなに駄目なあなたでも、一人の尊い人間として見てくれて、信じてくれる人。
 育つ過程でそんな人が身近にいれば自ら自己を肯定も否定もする必要が無い。

 私自身も自己肯定感が高い方ではない。
 親のことは感謝よりも恨みに似た感情の方が先に立つ。
 子供に対して広い心で許容出来ているかと聞かれれば自信がない。
 そんな私だから口コミが気になるのもしれない。

おわり
 

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