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理解と同意と分かったつもり ー 空気と言葉

相手に理解されない。
同意が得られない。
そんな事に一喜一憂してはいまいか。

相手の主張を理解することと、同意することは別の話だと思う。
理解出来だからといって、その通りに自分も動こうと思えるかは別という意味だ。
理解もしないうちに同意することは後々トラブルになる。そんなつもりはなかったなんてことになる。

ただ、ここで社会環境的な前提条件に問題がある。

その場の空気の中で暗黙の同意や共通理解が求められることが多々あって、そんな環境下では敢えて相手の考えを理解するために言葉を交わすことが敬遠されるし、「理解=同意」となりがちなのが、空気のなせる業だ。

空気は、その場その場でも作られるが、日本全体を覆っているものから、階層をなすようあらゆるところに漂っている。

国、地域、県、市、町、学校、教室、会社、職場、デパート、繁華街、飲食店など、それぞれがそれぞれの空気の下で成り立っている。

空気の影響力が大きい環境下では、主張そのものが空気を乱すものであるから、理解されようと主張する行為自体が理解されない。同意は既に空気の下で為されているのであって、今さら何を言うという目で見られる。

あるいは、その場の空気を作れる人の主張が通って、それ以外の人は「気おされる」ことで強制的に同意させられる空気となる。

「空気を理解すること=同意すること」という枠組みこそが、人の意見を理解することと同意することの違いを分かりにくくしている。理解したら同意しなければいけないのが空気だからだ。
もし分かっていないにしても、空気の下では皆が分かったつもりでなければならないからだ。


議論が噛み合わない時に、まずは相手の主張を「理解する」ところから始めるのが良い。すぐに反論せずに、それはつまりどういうことですか、と、自分が理解できるまで繰り返す。
なぜならば、人は案外自分の主張を明確に理解していないからだ。だから、理解できるまで説明してもらうことで、主張している本人自身が自分の主張を理解出来るようになる。
そうしてみると、実はお互いの主張や意図するところが似通っているなんてことも発見出来たりする。そんな事もある。

『なるほど、あなたの意見は良く分かりました。こういうことですよね。しかし、私の考えはそうではなくてこうです』というような会話が成立するのであれば、同意するにしても同意しないにしても、双方納得が行くのではないか。

しかし、このような会話を成立させるためには、まずは無意識のうちに空気を読む癖をお互いに無くさなければならない。相手の考えを読むことを無くさなければならない。あなたはこう思っているはずですよね、と決めつけるのではなく、『こう思っているということですか』と質問すれば良い。でもこんな質問をすると大抵は『ほら、私のことは何にも分かっていないじゃない』となる。分かっていないから聞くのだが。

相手に理解されないのは、相手は「あなた」を理解しようとしているのではなく、空気を理解しようとするからだ。
同意してくれないのは、空気によって既に形成されている暗黙の同意を破ることは禁忌だからだ。
これらの感情は無意識に働くから、必ずしも意図的にあなたを理解しないようにしているとか、同意しないようにしているという訳でもないところが厄介なのだ。

ところで養老孟司氏によれば、言葉は情報伝達の道具であって、意思疎通の道具ではないという。
だとすれば、そもそも言葉によって理解してもらおうという努力が空転するのは自明のことで、空気に頼る日本的やり方の方が理にかなっているのかもしれない。

だったらせめて、なにか良い空気清浄機のようなものは無いものか。

おわり

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