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虐げられた記憶は遺伝子よりも強く受け継がれる

 ひとつの生命体には寿命があるため、子孫に受け継ぐことで長きに渡って存続する戦略を取っている。生きることは消耗を伴うものだから、寿命があること自体も生き延びるための知恵だ。エネルギー源となる太陽光や酸素は量を間違えれば毒になる。長年浴び続け吸い続けていればダメージを受けることを免れないのだ。だから同じ個体で永続することは良い戦略とは言えない。つまり、長生きは生命にとって別に良いことではない。

 こと生命体としての存続に限って言えば遺伝子という仕組みは良く出来ている。ただし人間の場合は少し違う。
 一般的な生物が行動によって生きているのに対し、人は生きる上でのほぼ全ての領域を言葉が占めていて、脳は言葉によって強く影響される。それはすなわち行動だけではなく、心理的な作用が精神や身体に及ぶことで健康を害したり、時には命に関わることは承知の通りだ。
 言葉の暴力という表現があるが、確かに物理的な暴力と同じくらい言葉には人を左右する力がある。

 人から言われた言葉のみならず、人は自分が言った言葉や自分の頭の中で聞こえる言葉に影響される。ネガティブな言葉を投げかけられただけではなく、それが頭の中でループしだすと逃れるのが難しくなる。そして、言葉があることによって沈黙が力を持つようになる。すなわち、無視されることがこれほどまでに人の心にダメージを与えるということについて、言葉があることの影響を無視は出来ない。
 言葉を付加することで何でもないことが長大な力を持つようになる。あいつらは悪魔だと命名したことに始まり、抹殺し殲滅しろという呪いは罪の無い多くの民の命を奪うことになる。言葉は分断を産む。
 
 さらに、文字の発明によって言葉は記されるようになり、紙の発明によって代々受け継がれるようになった。それはまるで細胞の中にある遺伝子のように世代を超えて「事実」が語り継がれることになる。ときに墓石に刻まれた名前は過去に虐げられた記憶を後代に受け継ぐ。それを見た人々はそれを恨みとして引き継ぐ。

 言葉は便利な道具でありながら、聞いた人、読んだ人によって如何様いかようにも解釈される。厳密さよりも曖昧さを孕んでいながら、私たちは普段それに気付いていない。コミュニケーションに伴う誤解は最初から言葉に内在しているから、私たちは知らず知らずのうちに喋り方や表情や雰囲気、そして文脈など言葉そのもの以外の多くの情報によって判断しているが、そのことをあまり意識していない。
 意識しないうちに、他人に悪い言葉を植え付けることをしてしまう。特に、その相手が子供だった場合は事態は深刻だ。植え付けられた言葉によって負の感情が受け継がれてしまう。

 世界を分かつ思想や宗教は言葉によって遺伝する。
 それは遺伝子によるものよりも遥かに力を持って人々の行動を縛る。考え方を縛る。過去に虐げられた記憶は言葉を通じて後代に残される。もしそれが、生命が生き延びるのに必要なことであれば甘んじて受け入れるほか無いが、なかなかそうは思えない。
 人という種族は、何を残し何を受け継ぎ、どうやって最期の時を迎えようというのか。言葉を持ったことでかえってその辺の動物より愚かになってしまったのは皮肉でしか無い。

おわり
 


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