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身に纏った鎧

 私は弱くて脆く、自分に自信が持てない人間です。
 それに、憤りたくても憤れず、辛いことや嫌なことを直視できずに逃げ回っているような卑怯で卑屈な人間です。
 そんな私ですから生身では社会の中で生きられません。
 だから硬い鎧を纏っています。ここで偉そうなことを書き連ねているのも、そうした鎧の一つです。
 でもその事を知っているのは私以外にはいません。生身を知っているのも私しかいません。

 鎧は外からの刺激で固くなるように出来ています。だから年々硬く大きく重くなっていきます。

 私の鎧の歴史は古く、物心ついたときには着ていました。それでも、それを脱ぎ捨てる時が過去に数回ありました。最初のそれは小学校の頃のことです。中学受験に向けて勉強を強いられていた私は、ある時母親に向かって泣きながら言いました。決して大きな声ではなく、聞こえるか聞こえないか分からないほどの小さな声で。それでも懸命に勇気を振り絞って、もうこんなのはやめたいと。その時です。自分がそれまで鎧を纏っていたことを初めて知ったのは。

 中学に入ると、また新たな鎧が形成され始めました。中学3年になる頃には家でも常時手放せなくなっていました。その鎧はたしか大学に入るまで着ていました。
 大学時代は比較的軽い鎧でした。子供用の鎧が流石に着られなくなって大人用のそれを探している時期だったのかも知れません。

 社会人になるのには、鎧は必須でした。毒矢や銃弾が飛び交う中で、少しでも右往左往せずに済むためには鎧が欠かせません。
 そんなある日、今の妻となる人と出会いました。鎧を纒って生きてきた事を打ち明け、この世で唯一その事実を共有出来る人が現れたと思いました。そして間もなく結婚しました。

 外では鎧を纏い、家では脱ぐ生活が始まったのですが、しばらくすると、どうやら家用の鎧が生成され始めました。どうやらと言うのは、その事に気がついたのがつい最近だからです。ずっと知らずに生活していたのです。

 鎧は外からの刺激で生成され固く厚くなる性質を持っていることは先ほど言いました。残念なことに、家で脱いだ鎧の下に新たな鎧を纏うようになっていたのです。家にいても外と似た環境になっていたのでしょう。鎧の秘密を共有したはずの妻は、きっとその事をすっかり忘れてしまったのでしょう。何なら、あなたには強い防具があるからいいわね、という風に思ったのかも知れません。
 ともかく妻は、私が打たれ強く何にもめげず、他人のことなど鼻クソほどにも思っていない人だと思い込む様になってしまったのです。

 鎧は作られた疑似人格のようなものです。
 心理学で言うペルソナ、つまり社会に適応するために付ける仮面に似ています。誰しも友人と集う時の顔は会社での顔とは別でしょう。
 鎧が仮面と違うのは、内面を見え難くすることに加えて、外から内を守る機能が強化されている点です。攻撃に曝される度に厚みが増すのです。さながらカニの外骨格のように棘が生えることもあります。

 恐ろしいのは、長年鎧を着て過ごしていると、どこからが鎧でどこが皮膚なのか分からなくなってしまう点です。「あなたはこういう人」という外見的な性質と、「わたしはこういう人」という内面的な自己像が重なってきてしまうことです。考え方やものの見方が、本来の自分のものとは乖離してしまっているのに、自分自身で気が付かなくなってしまうのです。すると、知らないうちに親しい人を傷つけることに無頓着になってしまいます。

 実は今の私がこの状態になっていたということを、つい最近知りました。

 意図せずに鎧の棘で周囲の人を傷つけるのは本意ではありません。何とかして回避したいのですが、今の私にはこの内側に形成された鎧を剥がす術が見当たりません。何とかして脱ぎたいと思っているのですが、昆虫の脱皮のようにスルリと抜け出ることは出来なさそうです。

 これが今の私のいちばんの課題です。

おわり

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