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居場所

 すっぽりと、しっくりと嵌まる場所。落ち着ける場所。心休まる場所。心が自由になれる場所。人は誰も、そんな居場所が欲しいだろう。
 でもそうした場所はなかなか見つからない。

 生まれ育った家庭がそんな居場所になっている人はきっと幸せだ。それが一番幸せなことだろう。あー、やっぱり実家が一番和むと心から言える人は。
 でも、そうでない人は沢山いる。
 家族や家庭が和める居場所になっていない人は多くいる。
 そんな人は、居場所を探し続けているのだろう。全てがぴったりと嵌まり込める様な居場所を。

 こんなことを言うのも、私がそうだからだ。

 居場所は、それを提供する人がいないと成立しない。居場所を持っている人だけが人に居場所を提供出来る。だから、居場所を求めて彷徨っている人は、人に居場所を提供することは出来ない。
 場所が提供されていても、うまく嵌まらなければ居場所にはならない。鍵と鍵穴の様に、ぴったりと一致しなければ居場所は開かれない。

 未だに居場所を探し続けている私は居場所を提供することが出来ないのだろうか。辛うじて自分で作った自分用の居場所は足場がグラグラしていて心もとないから、ちゃんとした居場所を与えることは出来ないだろう。つまり私の周囲の人は誰も安心して暮らせないということになる。

 こうした負の連鎖が成り立つとしたら、安心できる家庭を築こうなどと安易に思わない方がいい。居場所を与えることが出来なきのであれば子供を作らない方がいい。
 もっとも、居場所は一人だけでなくて、大勢の方が作りやすい。鍵穴が多い方がいい。だから人間は核家族の中だけで解決しようとせずに、多くの人と協力関係を築いた方がいい。

 居場所に必要な要件のひとつは甘えだ。
 甘え甘えられる間柄が成立する場所でないと居場所にはならない。甘えを許し合える関係性を構築するためにも、私は甘え上手にならなければいけないのだろう。

おわり

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