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うつはただの病気。

 最初におことわりしておくが、私は医師ではないからこの記事で述べていることは私個人の感想に過ぎない。また、この記事では精神疾患一般や心の不調を総称して大雑把に「鬱」と記述することにする。

身近にいた鬱の人たち

 これまで私は勤め先や取引先その他の企業に在籍する人で鬱になった人と関わりが少なからずあった。たまたまかも知れないが「あの方がですか・・・」と疑うほど罹患を想像していなかった人が大半だった。薬を飲んで普通に生活している人もいれば、職場に復帰してからもどこか以前とは違う人もいる。最終的には早期に退職した方も。そして最も身近な所では数年前に妻が鬱になった。

 罹患して休職するような人が出た時の周囲の反応が比較的定型的であるという印象を受けた。表面的には「大変ですねぇ」と言いながらも、陰では「心の病なんていうのは思い込みだよ」「気合が足りないんだよ」「ズル休みでしょ」と堂々と言う人が多いのにも驚いた。みんな他人事どころか、そうした疾患があるということを受け入れられていない人が多いことに気付かされる。
 そんなことだから、うっかり「いや、気合とかではなくて病気だから」と言おうものなら「お前本気でそんなこと言っているのか」といじめの対象になりそうになる。かく言う私自身も十数年前までは、どちらかというと心の疾患は心の持ちようという部分もあって防ぐことが出来るものと思っていた。

私の中の受け止めの変化

 その考えが変わったのは、四十代半ばになって以降、ちょっとしたことで不安を感じることが多くなる経験をし、ここ数年でそうした症状が発現する機会が増えたことにある。
 初期の頃に経験したのは、朝の通勤電車で急に胸の苦しさを感じたことだった。途中下車をしてホームにあるベンチで休憩が必要になるようなことが何度かあった。怖くなって家の近所の病院に行ったところ、すぐに大きな病院に転送されて見て貰ったが、何の異常も見られなかった。
 その後に経験したのは、起床時の目眩めまい。ちょっと目がくらむというのとは違って、視界がぐるぐる回って立っていられない状態。しばらく休んでいると治まったので大したことは無かったが、時折そうした症状が続く時期があった。
 聞けば同年代知り合いにも同じような症状を経験している人がいて、中には薬を処方して貰っている人もいた。この人はそんな風に見えないのに薬が必要なほどの症状を抱えていたのかと、本人には失礼だが私にとっては少し安心と自信の種になった。

突然襲ってくる理由なき不安

 そしてここ数年多かったのは、理由なき不安だ。それも突然襲って来る。本当に実態の無い不安めいた何かに脳が支配されて、思考にもやがかかる感じだ。考え方とか受け止め方ということではない、理屈を超越したあの不安はなかなか言葉で表現しにくい。ポジティブに考えようという発想すら霞んでしまうような状態だ。
 それと同時に、ちょっとしたことでキレるようになった。自分でも何故こんなことで怒りが湧くのか分からないくらいのことで怒ることが増えた。

鬱は心の病気ではなく、身体の病気

 こうした症状を経験し、それをやや俯瞰して見た結果、鬱はやっぱり病気の一種だろうということに落ち着いた。しかも心の病気というような掴みどころのないものではなく、脳の中を流れる生体物質の変化に伴う化学的な作用に起因したものだと思うに至った。
 端的に言えばそれは老化だ。
 例えば胃酸の量が時によって違うように、脳の中になる生体化学物質の量や放出タイミングが年齢相応に変わってくることと言っても良いかも知れない(脳内だからここでは脳酸とでも言っておこう)。もっと言えば、人の身体は脳だけで考えているのではなく全身が脳と言っても良いほど脳と身体は密接に関係している。だから、全身の老化によって脳内の化学作用が変化してもおかしくはない。
 一番顕著なのがホルモンの影響ではないかと踏んでいる。
 妻の場合も女性ホルモン量の変化の影響だったし、私の場合もきっとホルモンバランスの変化によるものだろう。一般的にはそれを更年期障害と言ったりもする。

負のフィードバック

 ホルモンだけではなく、筋肉や脂肪の付き方が若い頃と同じという人がいないように、人の身体は年齢とともに変わっているのだ。ということは脳の反応も身体の変化の影響をまともに受けていると考えて良い。脳は身体、身体は脳と言えるのだから。
 さて、そうなるとどうなるか。
 言い方は雑だが、脳内に放出される脳酸が少なくなると不安を感じやすい身体になる。心の不調を来しやすい身体になる。
 その結果、生活の中で受けるストレスが実体以上に過大に感じられて、気力を失ったり、逆に怒りとして過剰反応したりするようになる。
 その反応が負のフィードバックとなってさらに脳酸の放出を抑制する。そうすると不安が止めどなくなったり、強い頭痛に襲われたりという症状が強化される。

加齢によるものは病気ですら無く、自然の変化

 大切なのは、脳と身体、心と身体を分けて考えないことだ。
 身体のどこかに不調があれば心も病むことがあるし、その逆もある。
 何かのバランスが狂ったことによって、心の反応が過剰になり、抑制が効かなくなって暴走する。それが鬱状態ではないかと思っている。
 ところで、加齢の影響で発症する鬱があるとしたら、それは病気なのだろうか。加齢による高血圧も病気だと言われる時代だから病気と言われてしまうのだろうが、加齢による症状は全て病気ではなく、ただの老化ではないか。つまり、ごくごく自然な現象ということだ。そうした変化が身体や心に訪れるのは人間にとって自然なことだ。
 それを異常と認定して社会から抹殺しようとしたり、ただの心の持ちようというように安易な理解をしてしまうのは、それこそ現代病に他ならない。

自己防衛反応

 鬱になると本人も辛いし、周囲も辛い。不用意に自分を責めたりしてしまいがちだ。しかし病気や老化なら誰のせいでもない。中途半端に元気で鬱だと自殺してしまうことがあるが、本当に症状が重くなると自殺する元気も無くなるという。そう考えれば、重い鬱症状は命を守ろうとする身体の自然な反応なのかも知れない。
 他の病気と同様にやっぱり周囲の支えが助けになる。お互い様と気楽に支え合う関係性を今からでも創っていきたいと改めて思う。

おわり
 

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