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責任能力

 36もの人を殺めたのだから極刑以外にはあり得ない。あり得るとしたらば、犯行時に責任能力を有していなかった場合だ。

 法的な意味での責任能力とは、善悪を分別しそれに従って自分の行動を制御する能力のことだという。その能力が無い状態とは、端的に言えば一部の精神疾患か一部の障害が該当するということになっている。

 私自身は幸いにも精神に関わる病院にお世話になったことが無いため、精神的な疾患や障害を持ち合わせているか分からない。ただ、メンタルヘルスのテスト(アンケートのようなもの)は受けたことがあって、これによって疾患の疑いを示唆されたことはないから、きっと「正常」なのだろう。

 では当然に善悪の分別がつくかと言われると甚だ自信がない。そもそも全ての事象について何が善で何が悪かを明確に把握出来てもいない。ここで言う善悪は社会にとってのそれであって個人的なものでは無いだろうから、私は善だと思っても人は悪と見做す場合だってある。だから私自身は分別がついていると確信を持って言うことが出来ない。

 分別がつかないのだから、それによって自分の行動を制御出来ているかという問は意味をなさないだろう。むしろ分別がついていない人間がそれによって自分の行動を制御などしたら厄介なことになる。

 そんな私でも、人を殺めることに限って言えばそれが良いことか悪いことか区別がつくよねと問われれば、悪いことです、と答えるだろう。あくまで普段なら。
 でも、犯行に及ばんとするまさにその時にどうかと問われれば自信が持てない。私がそんな局面に追い込まれたのだとしたら、きっと自分の行いこそが善だと思わないとも限らない。悪いことは分かっているけどやっちゃえぇではなく、殺さざるを得ない状況に追い込んだあなたが悪いのであって私の行いはその悪を封じる善行なのだと思うのかもしれない。

 そうだとすると重要なのは、そうした状況に追い込んだり追い込まれたりしないことだ。人を殺したくなるほどの感情を抱くような人に育たないようにしなければならない。普段は分別のつく人でも衝動的に分別がつかなくなることは、実はかなり多くの人が経験していることなのではないか。理性を失って冷静な判断や対応が出来なくなる。そうなれば、一瞬でも善悪の判断力が喪失する場合があってもおかしくない。さらには、自分で自分を制御出来なくなる。
 いわゆるキレるというやつだが、その発火点は人によって違う。恐らくキレやすくなるのには理由があって、育つ過程での影響が大きいと思っている。

 核家族になって、家族内という小さな世界で起こっていることが見えにくくなっている。そこでは、子供だけではなく親の側もメンタルケアが必要な人が多いはずだ。各個人や家族で解決しなさいというには限界がある。社会の問題として多くの人が認識する必要があるだろう。

おわり

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