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太陽と南風
気のせいだろうか。
バスの車窓から見る陽の光が夏だとギラギラと、さも暑そうに思える。地表も大気も熱くしてやるという意気込みすら感じさせられる。
同じ光景でも、冬だと照りつけているのにどこかエネルギー感に欠けて弱々しい。真冬ともなれば少しの暖かさも運んでくれない。
バスから降りれば、照りつけた光で極限まで暖められた熱波が攻撃してくる。太陽さん、やんちゃをするにも程がある。そう言いたくもなる。
これも冬なら事情が違って、北風に負けずにもっと頑張って下さいよ、太陽なんだから。と、こうなる。
陽の光の明るさは夏と冬で殆ど変わらない。
それなのに陽の持つ熱は違ってみえるし、やる気も違って見える。
太陽にしてみれば、旦那そりゃ言いがかりですって、お願いしますよ。とでも言いたいところかも知れない。
人間にとって視界からの情報ほど当てにしているものはない。百聞は一見にしかずとまで言われる。見りゃ分かるだろということだ。
それほどまでに視覚は頼りにされている。
しかしそうだろうか。
味覚が舌の感覚だけではなく嗅覚にも大きく影響されているように、視覚だって何かに影響されることがあるだろう。
そもそも視覚だって視野のごく一部しかハッキリとは認識出来ていないことが分かっていて、最新のVRゴーグルの表示技術にも応用されている。
視覚は思ったほど頼りにはならないのかも知れない。というか人間は、私達が思っている以上に視覚以外の様々な情報を上手く活用しているのかも知れない。
夏の太陽が熱く見え、夏の陽の光が容赦なく感じるのが思い違いなのだとしたら、太陽に謝らなければならない。これまで誤解してあなたのせいだと思っていましたと。
気づかないうちに誰かのせいだと思い込んで自身の不幸を嘆くことも、実は思い違いから起きていることなのか。そうだとしたら、認識を改め誤解の原因を突き止めることが、不幸からの脱却には必要だろう。
暑い夏の原因が太陽の光ではなくて、南風のせいであるように。
でも、暑い南風を作ったのは太陽か。風を運ぶエネルギーも太陽が源。太陽からの高い日射が地面を温め空気を熱する。つまり暑いのは全て太陽によるもの。
やっぱり文句は太陽に言うしかないのかな。
おわり
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