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偉いが嫌い
人の呼び方ひとつで地位や年齢の上下関係・力関係が把握出来る日本語。私はどうもこれに馴染めない。というか偉いという言葉が何故か昔から好きになれない。
何だその言葉遣いは。何だその態度は。その言い方は無いだろう。その格好は。その髪型は。とにかくお前は失礼極まりない。
偉いが嫌いになったのは、偉い人にそういった態度を取られることが多かったからだろうか。
自分で言うのは甚だ当てにならないが、私は最低限のマナーを守り、上司の言う事に歯向かうでもなく、遅刻も無断欠席も無く、ごくごく一般的な社会人として生きているつもりだ。
年齢を重ねると歳が上なだけで先輩と言われたり、少し役職がついただけで「偉い人」になったりする。そして無意識か意識してか分からぬが、人は結構頻繁に偉いという言葉を口にする。口にしなくても、偉い人に対する態度を取る。偉い嫌いな私は、そうした後輩の振る舞いも素直に受け止められずにいる。だから宴会のような場で先にお酌される場面などは、なるべくなら避けたい。いえいえ先輩からどうぞと差し出されると、どうにも落ち着かない。
私から見ると、会社で言えば偉い人なんかいない。社長だからと言って偉いのではなく、そういう役回りなだけだと思ってしまう。役員や役職者は偉いのではなく、設定された権限を利用して利益や効果を最大化させる責任を負っているだけだ。それをもって偉いと称するのは、どこか歪んでいるように私には思えてしまうのだ。
こんな考えの私が間違っているのだろうかと思い、goo辞書を見てみるとこう書かれている。
偉い
1 普通よりもすぐれているさま。
㋐社会的地位や身分などが高い。
「会社の―・い人」
㋑人間として、りっぱですぐれている。
「苦労しただけあって、―・い人だ」
大きなくくりとして「普通よりもすぐれている」と言い、その内訳のひとつとして「社会的地位や身分が高い」と言っている。これを素直に読むと、社会的地位や身分が高い人というのは普通よりもすぐれているということになる。もしそうだとするとそれは、「すぐれているから地位や身分が高い」のであって「地位や身分が高いからすぐれている」のではないだろう。世間一般の使い方ではこの逆転が起きていないだろうか。地位や身分が高い人を、それだけの理由で偉い人と言っていないだろうか。
その実、偉い人が凄いなんて誰も思っていなくて陰口や悪口が横行しているのが常だろうから、「地位や身分が高いからすぐれている、と思わせておけ」ということか。
しかしそもそも、すぐれていれば地位や身分が高くなるかというとそんなことはないはずだ。世の中にはすぐれていても地位や身分が高くない人だって沢山いる。結局そうした人々はすぐれていなかったんだという評価なのか。いや違うだろう。地位や身分は単なる役目であって、その役目にふさわしい優れた一面を持っているというだけだ。
想像だが、一般的には地位が上の人が「偉い人」と呼ばれると悪い気分がしないという人が多いということなのだろう。あるいは、偉い人と呼んでそのような扱いをすることで何か良いことが起きるかも、という忖度なのだろうか。最低限、偉い人扱いしておかないと罰が当たると思ってしまうのだろうか。偉い人の機嫌を損ねると都合が悪いと思ってしまうのだとしたらそれはハラスメントに関わることだ。今の時代にはそぐわないだろう。
ここ数年の新入社員を見ていると、昔と比べて偉い人に恐縮している感じがしない。先輩に平身低頭している姿も見ない。飲み会でビール瓶片手に皆のグラスに、なんていうのもあまり見なくなった。服装の自由度も上がった。良い意味で上下関係を過剰に意識している人は減ったように感じる。
そんな風に、偉い人を偉い人と思わずに自由に振る舞える人たちを見ていると、何だか偉いなぁと関心してしまっている自分がいて、私はますます偉くはなれないと思う。
いや、なりたくもないのだが。
おわり
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