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医療とは何だろうか。

 あなたは風邪を引いたら病院に行く人だろうか。その時、病院に何を期待するのだろうか。想像するに、病院で医師に診てもらうことで治してもらいたいと願っているのではないか。しかしそもそも、医師や医療機関は病気を治すことが出来るものなのだろうか。
 冒頭から医療に喧嘩を売っているかのようだが、そういう意図は無い。あくまで素朴な疑問なのだ。

 ありふれたウイルスの感染に伴う一般的な風邪は病気ではなく、医師や薬では治すことが出来ない。薬によって不快な症状を緩和させることは出来たとしても、ウイルスと戦うのは身体に備わる免疫機能だ。発熱するのも鼻水が出るのも痰や咳が出るのも、身体がウイルスと戦っている証だ。医師が出来るのは、何らかの薬を処方すると告げ、水分と栄養をとって安静にして下さいと言うことくらいだ。それによって多少でも安心した顔が見られたとすれば、勇気づけることで免疫機能に力を貸したとも言えるかも知れない。

 病院に行く切っ掛けは様々だとしても、そこには病気や怪我が関わっているに違いない。どちらも病院と呼ばれる機関で取り扱われているからには、病気と怪我は関係性がありそうな感じがする。しかし、人間の身体に関するということ以外に何らかの関連性があるだろうか。何を言いたいのかというと、病気を治すのと怪我を治すのは同じようなことなのかということだ。多分だが、病院で施されるこの二つの「治す」が実際にやっていることは、違うようでいて同じなのだ。

 身体の何処かに普段とは違う状況が生じた場合に、その状態を診断して治療する。それが外傷によるものか、体内で起きている何らかの異常かという要因の違いはあれども、何が起きているのかを医学的見地で検討し、処置方法を選定して処置を行う。それが医師の行うことだろう。

 ここで重要なのが、異常な状態をどう判断するのかということになる。異常とは何なのか。

 例えば、風邪を引いて病院に行くとまず渡されるのが体温計だ。つまり、体温は異常かどうかの判定をするための一つの要素になっているということになる。問診の際には、何処か痛いところは無いか、食欲はどうか、いつからどんな状況になったのかといったように、症状とその経過を聞かれる。ここでは異常かどうかもそうだが、異常の程度も判断しようとしているのだろう。
 喉の様子を観察し、呼吸音や心音などを聴いて、時には血圧や心電図、あるいは胸のレントゲンを撮る。場合によっては、血液検査や尿検査も行うだろう。こうして集めたデータをもとに、診断を下す。どんな異常がどんな原因で起きているのかを推測する。

 異常の程度と範囲が分かったら、処置方法を検討する。切り傷なら傷を塞ぎ感染症予防措置をする。刺し傷なら場合によっては手術を行う。必要と思われる薬を処方する。あるいは、適した処置をするための設備が整った病院を紹介する。
 外傷では無い場合はどうだろうか。外傷の場合に比べて多くの検査が行われる印象だ。そうしてなるべく多角的なデータを集め、なるべく要因を絞り込んで投薬や手術を行う。怪我に比べ、治療によって治る感じをあまり受けないのは、いわゆる病気は感染症を除き身体の経年劣化に依るものであるからだろう。糖尿病で入院していた人が退院したとて、お陰様で良くなりましたという感じではない。

 これはあくまで私の極論的な印象の話だが、怪我は何とか治せるが、病気は医療では治せないのだと思っている。様々な検査データと統計データによって病気のボーダーラインを引き、数値をボーダーライン内に戻すための投薬が現代の医療だ。もちろん検討基準はどれだけ余寿命を伸ばせるかということなのだろうが、寿命を伸ばすための数値を追いかけ過ぎている気がしてならない。
 怪我にしても病気にしても、本当に治しているのは身体自身だ。医療は身体が本来持つ力を最大限活かすためのサポーターとしてこそ活躍の場があると思う。生命体として死なないための医療ではなく、より良く生きるための医療となれば、それはもはや医療業界だけの問題ではない。求める側の問題でもある。

 風邪を引いたらウイルスを撃退する薬を病院で処方してもらって飲む。それがベストだと思っている人が多そうだ。しかしそれよりも、免疫力を上げるための方策を、疑わしい民間療法やサプリメントとしてではなく、医学として提示出来るようになれば、今にも増して医師への信頼が高まると勝手に思っている。

おわり

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