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保守とリベラル

 米国が分断の危機にあるという。
 それは単純に保守とリベラルの戦いという構図だけでは語れない。

 保守の牽引役となっている共和党のトランプ前大統領を支持する声がニュースで報じられる時、日本人から見ると何故あんな人がそんなに人気があるのだろうと思う人も多いのではないか。外国への支援にかまけるのではなく、もっと本来のアメリカを大事にしてアメリカとしての誇りを取り戻し、一致団結して強いアメリカを作ろう、というスローガンはこうして書いてみると至極まともなことではある。しかしその正義の実現するためには手段を厭わないという姿勢は、支持者で無ければ野蛮にすら見えるだろう。
 こうした前提のもと、共和党は機会の平等、自己責任を重んじ小さな政府を掲げる。

 他方リベラルの先頭に立つ民主党。バイデン大統領の撤退が告げられて、ようやく戦闘モードになって来た感がある。多様な価値観を受容し、競争を制限する傾向がある。言論・報道の自由に始まり、法の下の平等という価値観を信条とし、妊娠中絶を行う権利、LGBTQの人権擁護などのムーブメントを支持する。現状維持ではなく変化を良しとし、人種差別などの不平等を良しとしない。
 民主党は結果の平等を主張し、福祉を重視した大きな政府を掲げる。

 こうして書いてみると、両方を程よく混ぜれば良いのではないかと思ってしまうが、両者の分断の溝は深まるばかりで、今や両陣営の支持者たちは、全く別の世界観の中で過ごしていると言っても良いほどになっているというのだ。両陣営は思想的に対立するのみならず、街の中で指をさして罵り合うほどにまでなっており、独自の経済圏まで築かれてようとしている。そうしした光景は、分断を通り越して敵対関係にまでなっているようにも見える。
 しかし、よく考えてみれば保守とリベラルとは考え方としての対立軸ではない。つまり、両陣営の分断は、そこに対立があることを暗黙の前提として、両極に振り切ろうとすることで生まれた空気と言えないだろうか。

 そもそも大統領選挙のキャンペーンに老若男女が大盛りあがりする様を見て白けるばかりの日本人からすれば、両陣営とも似たりよったりに見えるだろう。それは一部のアメリカ国民も同じで、共和党も民主党もどちらも指示しない層が確実に増えているという。日本では報じられないのであまり知らないかも知れないが、大統領選挙は共和党と民主党の2候補しかいない訳では無い。どちらかを選ぶ選挙ということではない。この両党の支持者の数が圧倒的だからそう見えるだけだ。他にも候補者は複数いる。
 実際、民主党指示が29%、共和党指示が28%、40%が無党派層という世論調査結果もある。つまり約6割の人々はどちらかの政党支持者として盛り上がっているが、4割の人々はそれほどまでには盛り上がっていないというのが大統領選挙なのだろう。それでも、大統領の権限は強力なので、誰かが選ばれる以上、アメリカ国民であれば無関心ではいられないのも事実だ。

 そしてアメリカには、支持政党の違いの他にも、学歴や宗教や人種、移民など社会の分断要因となるものが多くある。かつてアメリカは人種の坩堝と言われたが、人種だけではなくあらゆるものの坩堝と化していると言えよう。あらゆる立場の人々が一斉に声を上げ始めれば、それこそ収集がつかなくなるのは当然で、そうしたことから考えれば、自由つまりリベラル過ぎるのは問題で「本来のあるべきアメリカ」に帰ろうと言い出すのも分からなくない。歴史や伝統の中にこそ正義があるというのだ。
 ただ、リベラルから見ればいろんな人々が自由にものを言えることこそ「本来のあるべきアメリカ」なわけで、もっと革新し自由な権利範囲を広げることにこそ人間が生きやすくなる源泉があるというのも分かる気がする。

 
 今の日本を見てみると、日本古来の伝統を重んじ、純粋な日本人こそ日本人であるとする人もいれば、差別や偏見によって生きづらくなった社会を変えていく原動力として自由な権利を主張する人もいる。思想的に極右や極左の人もいるだろうが、一般的にはかなりきめ細かいグラデーションで出来ていて、現状で根が深く分断に通ずる問題は、収入の格差、就職の格差、就学の格差などの格差に関するものが多い気がする。ムラから出て都会に行くのも、格差を無くそうというのも、女性の社会活躍もリベラルの発想であるからして、どちらかというと全体的にリベラル傾向が強いと言えるのだろうか。
 もっとも、日本の場合のリベラルは政治的なリベラルとは疎遠で、興味は無いながら何故か安心して投票出来るのは自民党だよねという空気が未だに残っていたりするのは、多くの人が盆暮れに帰る「実家」という保守的感覚が残っているからだろう。夏休みくらいは墓参りした方が良いとか、親に顔を見るだけでも帰った方が良いという価値観の人はかなり多い印象だ。これはまさしくリベラルではなく保守だろう。

 たまたま支持者が多い2大政党の候補者が競い合う様子が大々的にニュースで取り上げられることで、保守とリベラルという「対立軸」が浮かんでいるが、それは砂漠に浮かぶ逃げ水の如く蜃気楼でしか無い。ましてや相手を敵視して溝を深めるのだとしたら、社会の安寧は遠のくばかりだ。
 保守もリベラルも手に手を取ってと言うと頭がお花畑と思われるかも知れないが、そうでもしないと世界平和はやって来ないほど、世界各地で気になる分断が進んでいる。
 その意味では、日本的な考え方は世界的な存在価値が、私たちの思う以上にあるのではないか、などと夢想している。

おわり
 

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