才能の伸ばし方
褒めて育てるのが良いと言われる。
もちろん、何でもかんでも褒めりゃあいいってものじゃ無いのは分かっている。褒め方を知らないと、どんな場合でも「凄いねえ」と言うことしか出来なかったりする。もう少し言い方があるんじゃないかと思いつつも瞬発力が大切と、取り敢えず口に出してからその単調さに嫌気がさす。
私自身のことだ。
きっと褒め言葉にはパターンがあって、それを外国語のフレーズのように丸暗記しておけば、それで良いはずだ。しかしそれが出来ない。
人を上手に褒めるには、褒める才能と相応の努力が必要ということになるが、人の才能を見つけるには才能は必要ない。どんなに小さなことだとしても、俺にはそうは出来ないなぁと思えることが誰かにあれば、それがその人の才能の芽になる。相手が子供なら、同じ年の頃に自分はそんな事を出来なかったと思えることがあれば、それがその子の才能の芽になる。
そう、自分にはそれは出来ないけれどあなたには出来るんだね、ということを躊躇なく伝えれば良いのだ。そう認められることが言われた側の人の才能を伸ばすきっかけになる。
しかし私の場合はここで少し問題となることがある。
自分には出来ない事を他人がやっているのを見ると落ち着かないのだ。自分にも出来るはずと思うか、出来ない自分を受け入れられずに落ち込むかのどちらかだ。要するにちっちゃな人間ということだ。
負けず嫌いでいいねと褒めてくれる人もいないから、意地でも人のことなど褒めてやるものかとなるものだから、上手く褒めることが出来ようもない。
となれば、やはり何事も広い心を持って臨めるようにならねばならぬ。おおらかで優しさに満ちた心が必要だ。
そうした心持ちで他人の才能を素直に認めてそれを受け入れ、自分のダメさ加減を許容し、心から人の才能を褒める。そうしなければ才能を伸ばしてやることは出来ない。
要するに大人になるとはそういうことなのだ。二十歳になるとか、勤めに出るとか、はたまた結婚するとか、そんなことではない。人を無条件で許容する事が出来るようになることが、大人になるということなのだ。
こんな私にもそうした大人になる機会が過去にあった。
恋をした時と、子供が小さかった頃のある時期だ。残念ながら時が経ったら次第に許容出来ないことが増えていったから、全くもって仮りそめの大人だったというわけだ。
これを書いていて思ったが、大人になるということって、無償の愛に似ていないだろうか。
そうだとしたら、私はまだまだ子供だし、愛を知るには遠く、これまでの人生を反省するしかない。
素直に反省が出来るくらいなら、今頃はとっくに悟りをひらいていてもおかしくはなかったのだろうさ。
おわり
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