見出し画像

昔話が多い人

 昔はこうだったという話がつい口をついて出るようになったのはいつの頃からだったろうか。知らぬ間に過去に思いを馳せることが多くなった。

 片側に未来への展望、もう片側に昔話を載せた天秤があるとする。未来への展望は生きた長さに反比例し、昔話は生きた長さに比例する。若いうちは生きた長さよりもこれから生きる長さの方が長い(と思われる)から、天秤は未来に傾く。
 年を取るとその逆にこれからの長さよりも生きた長さが圧倒的に長くなるから天秤は過去に傾く。

 若い人が年配者の昔話を自慢話や説教かのように忌み嫌うのは、それらが今の自分にとっては全く役立たないからだろう。それどころか、時間の無駄であり、害悪ですらある。だから老害と言われる。
 その話が将来の自分に役立つのならまだしも、そんな保証は一切無い。昔語りをしている本人は自分の話が若者に役立つと思い込んでいる。歴史に学ぶと言うじゃないかなんて自分を歴史化しようとまでする。たとえあなたが歴史上に名を残す人物だとしても、歴史に学ぶの歴史とはだいぶ違った極めて個人的な歴史だ。


 そうかといって、年配者の興味が未来を向いていないということでもない。年配者が健康についてのネタを話したがるのは、近い未来にやって来るであろう死を見据えているからだ。過去の話をするのは単に過去ネタが多いからだ。まあ、新しいことに取り組む意欲は年々無くなるし、知力も体力も衰える一方だから未来ネタを作ろうとしたらハードルが高めなのは否めないが。

 世代間ギャップと言えばかつてはよく見たテレビや好きだった漫画などで感じた訳で、少し前なら何歳から携帯電話を持っていたかが指標になった。今ではさしずめどんなSNSをよく使ったかや、どんなユーチューブをよく見たかといったところだろうか。そもそもSNSもあまりやらないユーチューブも見ないというおじさんには異世界のようだろうから、ギャップはかなり深くなることになる。

 自ずと仕事観も違うの当たり前で、昭和だ平成だという以前に、「嫌なら無理をしてまでやらなくていい」と「自分の成長が感じられない仕事は嫌だ」が同居した価値観から見れば、おじさんたちがさして面白くなさそうに仕事をしている姿を見たら嫌になって、仕事は金を稼ぐところと割り切ろうと思うのも分かる気がする。

 仕事を通じてお金を得られるのは誰かを笑顔に出来た時なんて思うようになったのは最近のことだ。仕事観は別として、仕事の意義にはギャップは無いはずだから、そこにフォーカスして仕事ができれは共通点が見いだせるかも知れない。

おわり
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?