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繭の中の世界

 分数の出来ない大学生がいるという話が象徴するかのように、大学生の学力が低下していると言われることがある。
 誤解してはならないが、必ずしも大学生全体の学力が低下したのではなく、学力の平均が低下しただけだ。平均が低下したのは、極端に言えば学力が小学生レベルでも大学生になれるようになったからだ。まさしく猫も杓子も大学生になっている。

 だから、大方の大学生は高卒で仕事に就いて活躍している人よりも知性レベルが低い。そりゃそうもなる。大学生には生きる力がほぼ無いのに対し、自らの力で稼いでいる人たちはそれだけで生きる力が漲っている。社会を知っている。それに、受験の学力は知性とは関係無い。

 大学生から会社員そして定年までという人生のルートは、安全安心な繭の中のように守られた世界にある。だから無意識に皆がその世界を目指そうとするのだろう。
 繭の中の世界と現実の世界の間には見えない膜がある。中の人は膜を通じて外の世界を見ている。というより、真実は殆ど見えていない。見えない膜でありながら透過して外を真っすぐに見ることができないのだ。見ているつもりなのは見せられている世界。まるで映画マトリックスの世界だ。

 いま、繭の中はこれまでに無いくらい過密になっている。守られたい人々がこぞって集い、安心したつもりになっている。その知性の平均値は繭の外よりも辛うじて高いレベルを維持している。
 この膜は間もなく破れるだろう。既にパンパンに膨れ上がって、はち切れそうなのだ。しかも膜の中身は何の技術も知能も持たないに等しい空虚な人々だ。

 これからを考えれるのであれば、繭に籠もるのは得策では無い。未来永劫に渡って繭システムを維持することは出来ないのだから、膜が無くても生きていける術を身に着けた方が良い。勉強が出来ることで頭が良いと勘違いしているうちは膜を飛び出ることは出来ない。
 大きなシステムに依存するのではなく、自分の脚で立って、自分の手でこさえる人生を歩む人が増えない限り、日本社会はますます危うくなるはずだ。これまで抱いてきた世界観を捨てるのはきっと怖いだろう。それが唯一安全な道と信じてきたものから外れるのは常人のやることではないと思っているだろう。
 けれども、躊躇している時間的余裕は無い。
 それくらい危機は眼の前に迫っている。
 まずはそのことに気が付きたい。

おわり

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